日本バプテスト 福岡城西キリスト教会・西福岡のぞみキリスト教会

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1022 主日礼拝
10:30 - 12:00

メッセージ(説教)
亀飛永孝神学生師


メッセージ「イエス・キリストの律法」
 
聖書箇所:
新約聖書 
ローマの信徒への手紙10章2節~4節より

聖書箇所:
新約聖書 ローマの信徒への手紙3章31節より
「 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。(ローマ10:2 ~10:4)
「それでは
わたしたちは信仰によって律法を無にするのか決してそうではないむしろ律法を確立するのです。(ローマ3:31)

今週の聖書のページ

ローマの信徒への手紙10章

10:1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。
10:2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。
10:3 なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです。
10:4 キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。
◆万人の救い
10:5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。
10:6 しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。
10:7 また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。
10:8 では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、/あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
10:18 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、/その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。
10:19 それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、/「わたしは、わたしの民でない者のことで/あなたがたにねたみを起こさせ、/愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」と言っています。
10:20 イザヤも大胆に、/「わたしは、/わたしを探さなかった者たちに見いだされ、/わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。
10:21 しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。

先週のメッセージ 西福岡のぞみキリスト教会

2017年10月8日(日)主日礼拝

亀井良雄協力牧師

「低みからの見直しが行われる」
      
 
説教聖書箇所
新約聖書 ルカによる福音書5章27節~32節 
5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

招きの詞
新約聖書 マタイによる福音書16章5節~12節
16:5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。
16:6 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。
16:7 弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。
16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。
16:9 まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。
16:10 また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。
16:11 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
16:12 そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。


  
 行楽の秋のシーズンを迎えるこの頃となりました。今年の紅葉は如何でしょうか。
 さて、今朝のお話の言葉は、本田神父の訳からです。ルカ5:27~はレビを弟子にされる話ですが、31~32節は「私が来たのは、正しい人を招く為ではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と有名な言葉です。この言葉は、法然上人の「善人名を持て往生す。まして悪人おや」とよく比較されます。親鸞の歎異抄で有名になりました。
 その事は置いといて、皆さんはこの新共同訳の言葉を読まれて、何かお感じになられませんか。私はこの言葉が非常に高い目線から語られている様に感じてなりません。イエスは本当にそんな高い目線から語られたのでしょうか。孤高のイエスの姿を思わせます。
 しかし、この記事が書かれているのは、レビが何もかも捨ててイエスの弟子になったお祝いの宴席での言葉です。この宴会には「徴税人やほかの人々が大勢います」から、とても賑やかで騒々しい雰囲気だったでしょう。そんな中でイエスが高い目線からの言葉を語られるでしょうか。

 「そこには徴税人やほかの人々が大勢いて」とルカは書きます。「ほかの人々が大勢」なのです。しかしその人々をファリサイ派の人々や律法学者たちは「罪人など」と言います。ここで見る限りルカは貧しい人々を罪人呼ばわりするような感覚は持ち合わせていません。
 ルカは使徒言行録の著者で在るとも考えられています。またパウロに近い人だったようです。このようなルカが、イエスをしてそんな高い目線での発言をさせるでしょうか。イエスご自身が人々を「罪人たち」呼ばわりされた感じにも受け取れます。一緒にお酒を飲んでいる人々を「悔い改めさせるためである」と訳されていますが、この言葉のギリシア語・英語辞書には、基本は change of mind と在ります。つまり、見直す、思い込みを改めると言うような意味だと思います。とにかく大勢の人々と共に食事をしお酒を飲んでいる場面です。
 ヘブライ人たちには、共に食事をする事は大きな意味を持っています。お互いに「仲間」だという象徴です。だからファリサイ派の人々もイエスのこの様な食事を共にする事を問題視する訳ですし、イエスのグループも結局は罪人たちだと決めつけたい訳です。

 「私が来たのは招くためである」と「招くために」とイエスが来られた事の目的を現しています。
 元語は「呼ぶ」カレオーのアオリストの不定詞が用いられています。ここは「一緒に食事をしよう」と呼び集めた場面です。「悔い改め」を導く様な場面ではありません。博多弁で言うと「あんたも来んね!」と声を掛け合ったのです。
 また、不定詞には「目的」を現す事が多いですが、「結果」を現す事も出来ます。イギリスの詩人バイロン(話の中ではキーツだったかな?と申しましたが、バイロンでした)は、中々詩が売れませんでしたが、地中海旅行後の「チャイルド・ハロルドの巡礼」が大反響を呼び、「或る朝、目が覚めて見ると僕は有名になっていた I awoke to find myself famous.と to find が目が覚めた結果分かったと結果を現す不定詞なのです。
 本田神父は「低みに立っての見直しが行われる」と結果を現すような、実際に起った出来事を現すような表現に訳されています。私はこの訳にとても驚き、また「アーメン」と心底同意しました。
 本田神父の目線が宗教家に在りがちな、高い目線では決してないと思わされました。 この訳だとイエスの目線も決して高くありません。罪人と呼ばれた人々と一緒に食事をしておられるのです。低みに立っておられるのです。

 「罪人」という言葉をイエスも口にされた形式になっていますが、これはファリサイ派の連中との問答の中で、相手がその様に語るのに応じて言われた言葉です。
 この人々はルカに依れば「ほかの人々」です。貧しいが故に神殿にも行けないし、生活の為に律法を厳格には守れない人々です。「極貧の人々プトーコイ」という表現も有り、イエスはこの人々を見られて断腸の思いになられたような人々なのです。 将来の夢も希望も無く日常の生活に追われている人々です。この人々が希望を持って生きる様にと、村々を回り、病人を癒したり、会堂で教えておられるイエスです。
 それが父なる神の御心であるからです。会堂で「憐れみ深い神の御心」を説いて
おられたのです。高い目線で「罪人を悔い改めさせるため」と思われるはずがありません。それこそ、ファリサイ派の思いです。律法学者たちの思いです。

 罪人と呼ばれる貧しい人々と一緒に食事をするイエスです。ご自身を低みに置いて、人々に本来、憐れみ深い神の御心を教えておられるのです。
 神殿の奥の聖所に居られる近寄り難い神を語られるのではなく、律法を守らせる厳格な神を語られるのではなく、ご自身も貧しい身分の石工として生きて来られたイエスです
これまでイエスは大工のヨセフの子でイエスも大工だったとされて来ました
 でもこの頃はもっとひどい過酷な労働を強いられる石工だったと見なおされています。石工は力も要りますし、石の破片や粉塵となって呼吸器を犯します。
 南アフリカの元のマンデラ大統領も反逆罪で重労働の刑を処せられていましたが、石切りの重労働でしたから、肺を犯され、目を傷められました。
 また、イエスは伝道されて村々を回り、病人を癒されても報酬を要求されませんでした。弟子たちと貧しい旅をされました。そこに貧しい人々が大勢集まって来たのです。
 その様なイエスが突然、「罪人を招いて悔い改めさせるために私は来たのだ」などとは発言されないと思います。言葉が独り歩きをするような事では無く、イエスの言葉を受けるにも、イエスの日常の生き方、歩まれ方、そしてそこで起っている出来事にしっかりと目を留めて、状況を理解する中で、言葉を受けるべきだと思います。
 神殿宗教者や律法学者の様な、つまり、現代に於いても、キリスト教の宗教者としてではなく、身を低くして語られる福音の言葉として受け留めるべきだと信じます。

 身分の低い人々と同じ所に立って居られたイエスを見なおしたいと願います。
宗教家の高い目線ではなく、低みに立っておられたイエスの言葉、そして貧しい人々とを支える出来事を起こして行かれたイエスのお姿を受け直したいと願います。その低みにイエスの十字架は立っているからです。 イエスの十字架 アーメン



10月のスケジュール




10.1(日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師
10.8 (日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師
10.15 (日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師
10.22 (日)主日礼拝:メッセージ 飛永孝 神学生(城西教会)

10.29(日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師

西福岡のぞみキリスト教会(伝道所)とは

〒819-1129 福岡県糸島市篠原西3-3-25  電話・FAX 092-324-5794
協力牧師 亀井 良雄

 のぞみ伝道所は城西教会の伝道所ですが、こちらから母教会をお願いして20年にはなります。
今私たちはサテライト伝道所という言葉で城西教会との関連を検討していますが、これ迄と異なってしまうのでしょうか。基本的には同じです。
バプテスト連盟内に於ける力学的な立場は変わりません。サテライトは「衛星」ですから、本体の引力圏にあります。母教会から離れては存在できません。離れると私たちはバプテスト連盟に留まる事、そして宗教法人として存在する事ができません。既に経済的に自立しても、無償の支援を受けているわけです。
 それでは、衛星は本体と一つかと言えば、別個の存在です。単なる従属体ではありません。
衛星には「遠心力」等が働いていて、本体から離れています。その「遠心力」とは何かと言えば、本体とは別の動機、目的、使命が在るという事です。伝道所を英語でミッションと言いますが、この語には「使命」の意味もあります。
通常は福音伝道を第一の目的にして、母教会から株分けの形で分かれて次第に教勢を大きくして、一個の独立した教会と成る事を使命にする集いです。母教会と伝道する地域、対象とする人々が異なる訳です。言い換えれば具体的な使命、ミッションを別にする事です。    
ところが、城西教会とのぞみの関係は出発点が違うのです。城西教会から出たのではなく、独自に出発したのぞみ伝道所が途中で母教会を城西教会にお願いしたわけで、しかもそれからかなりの年月が経ちました。
この間に城西教会からは全国支援拠開拓伝道の西部教会が自立しました。一方のぞみ伝道所は、現時点で教会組織をする教勢ではありません。
そこで今回、のぞみ伝道所が、母教会とは異なる具体的な自分たちの使命を自覚し、その達成のために働き努力する事で遠心力を生み出そうとする、それをサテライト伝道所と呼ぶ試みを提案しているのです。
母教会の城西教会から「無償の支援」を受けつつ、自前の使命・ミッションを具体化し、その実現に向けて努力する「集い」を目指す事です。
この際、以下のような具体的な「使命」を提案します。長期の使命というより、短期の時間の区切りの中でそれを考えました。
期間内で達成できなければ、継続するか、中止するか、その時点でのぞみ伝道所で先ず、決断し、その上で城西教会の了解を得るという手続きを踏みたいと思います。
とにかく、今出来る事から、先に一歩を進め、そこから私たちに出来るサテライト像が生まれて来ると思います。

使命の具体案
1.何人かの方々の信仰告白へ向けて努力する事
2.東日本大震災への義捐金拠出を継続する事(2015年度は半額をネパール大地震に献金しました。)長命ヶ丘教会を通して。
国際的にも、「国境無き医師団」と中村哲氏の「ペシャワール会」、さらに地元の特定非営利活動法人 わたしたちの高齢社会をつくる会(ケアサービス「徒然」)にも献金します。
現在クリスマス献金を送っている5か所に継続して献金する事、久山療育園、止揚学園、おにぎりの会、ともし火献金、東日本大震災(長命ヶ丘教会を通して)
3.久山療育園のための毎月の街頭募金への協力活動

「のぞみ」という名の由来」
  私たちは1994年5月から、無牧師になった周船寺伝道所を改名して歩み始めました。主イエス・キリストが私たちに「臨み」下さる事に私たちの「望み」があるとの信仰告白から、西福岡「のぞみ」キリスト伝道所と名付けました。


西福岡のぞみキリスト伝道所へのアクセス

〒819-1129 福岡県糸島市篠原西3-3-25  電話・FAX 092-324-5794

福岡市方面からは、202号バイパスを唐津方面へ有田中央交差点角

電車筑前前原駅南口下車 タクシー7分 送迎体制有り 電話連絡先 324-5794

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