本文へスキップ

日蓮大聖人 立正安国論御講談と御休息休息の霊蹟 休息山立正寺

お問い合わせはTEL.0553-44-0462

年中行事

縁起と諸堂案内history and facilities

休息山立正寺縁起

祖師堂

温泉イメージ祖師堂には、当山第二世中老僧、日法上人御親刻、日蓮大聖人を祀る。左には、子安地蔵尊、右には鬼子母神を勧請しています。堂内は正面5間、側面6間の入母屋造り。二間の外陣、三間の内陣、一間の後陣に画されております。棟札によれば寛文6年(1666)8月御堂再興の勧進をはじめ、同年7月川浦で、材木を取り始め、同9年丸柱を萩原で、同11年釿入、同12年地形普請、立柱、延宝元年(1673)棟札を掲げられました。本願は実成院日真、棟梁は池上□左右衛門、脇棟梁は、片田真五兵衛と約4万数千名の寄付丹誠によって建立されたと記されています。


三十番神堂館内施設イメージ

三十番神は1ケ月30日を1日ずつ、日本国と法華経信仰者を守護する三十柱の善神で、伝説によれば日蓮聖人が比叡山(ひえいざん)定光院(じょうこういん)で修行中に出現されたという。この伝説はさらに、その時の神名帳が静岡県沼津市の妙海寺に、聖人が描かせた画像が山梨県勝沼町の立正寺に伝えられています。(この団体参詣等で公開があります)


七面堂
館内施設イメージ

法華経の行者(信ずる人)を守護する七面天女を勧請したお堂です。戦前までは6間四面の大きなお堂でありましたが、倒壊してしまい、平成七年に再興されました。七面天女と日蓮大聖人とのお話は次のようなものがあります。


『いつものように弟子や信徒に法を説いていました。そのとき、若く美しい女性がどこからともなく現れ、静かに座に着き合掌礼拝し、大聖人の説法を熱心に聴聞しはじめました。弟子や信徒たちが見慣れないこの女性を不審に思ったので、かねてより本来の姿をご存知だった大聖人は「皆に正体を見せてあげなさい」と告げました。女性は微笑みながら「水を少し賜りとう存じます」と応えたので、大聖人は傍らにあった水差しに入った身延沢の水を女性の手のひらに一滴落としました。すると、この美しい女性はたちまち本来の龍の姿を現じたのです。そして、もとの美女の姿に戻り、「わたくしは七面山に住む七面天女です。身延山の鬼門をおさえて、お山を護る法華経の護法神として、人々に心の安らぎと満足を与え続けましょう」とお誓いになると、雲に乗って七面山に飛び去っていきました。』

水屋 館内施設イメージ

お寺に湧く水で、身も心を洗いましょう。









山門館内施設イメージ

この山門に掲げられた額は、水戸光圀の筆のものであります。江戸時代、当山は、徳川より御朱印地を賜り、御三卿のひとつ田安家から庇護を受けていました。額には『兜厳魁刹』兜厳とは、どんな権力にも屈しない日蓮大聖人の布教精神をあらわし、魁刹とはそのさきがけのお寺であるという意味が伝えられています。





日朝堂
館内施設イメージ

このお堂は、行学院日朝上人(ぎょうがくいんにっちょうしょうにん)をおまつりするお堂です。日朝上人は行と学の両道を生涯に渡って実践されました。身延山久遠寺は、その当時、現在地には無く、現在の西谷祖廟の地にありました。参拝者に対しては、狭く不便だった為、移転を決断実行されました。更には僅か41才で身延の法主に就かれてからの業績は、この移転事業に留まらず、宗門の統一、学僧教育の確立、身延山の整備拡張、500巻に及ぶ著述、関東一円の新寺建立40余ヶ寺等々、多くの業績があげられます。日朝大上人は、正に寝る間も惜しんで宗門興隆に心血を注がれました。その結果ついには、61歳の時、遂に無理が祟り、両眼を失明されてしまいました。しかし、その厚い信仰の力でこれを克服されました。67歳、「眼病消滅本尊」をお書きになられ、後世、法華経を信仰する人が眼病で苦しんでいたら、守護して平癒させると言う願(がん)を立てられました。爾来、「眼の神様」「学業の神様」として多くの人々より親しまれております。

宗祖袈裟掛け松館内施設イメージ

宗祖日蓮大聖人、御休息の折、この松に袈裟をお掛けになったと伝わっています。








朱雀門館内施設イメージ

山門を黒門、この朱雀門を赤門と呼んでいますが、古い境内図には「朱雀門」とあります。






客殿・庫裏館内施設イメージ

江戸時代の慶長年間(1596−1615)に建立と寺記に記されています。
御開帳及び祭典日以外の安産お札参り・子授け祈願・お守り・御首題・朱印の受付は庫裏にて行っています。



庭園

館内施設イメージ江戸時代の『甲州道中記』には、「休息山立正寺へ参詣、庭ヲ見物宜庭也、弐丁程前、祖師立正安国論談義された高座石があり、其前には勧請の子安地蔵が有り、残らず参詣する」(『甲斐叢書』三巻所収)と道中記に記されている。この庭園の外にも1万坪の境内地が心なごませます。





下馬碑館内施設イメージ

この碑は昭和27年地中より発掘されたものであります。花崗岩の石柱に「下馬」と大書され、その下には異書体で文□元年五月二日 『金剛山』と記されている。文□は文治と推測されています。甲州市文化財指定。
*金剛山とは、休息山立正寺の前身、金剛山胎蔵寺の時代の山号。
県内最古の石柱とする学者や、拓本をとる書家などにおいては、良く知られています。





輪石庵

東雲小学校西側には、高座石輪石庵があります。文永年間、御巡行の際、日蓮大聖人はこの地の石に座り、立正安国論を御談義されました。その石(高座石)が堂内に格護されています。また、明治・大正と推定される石垣や、江戸時代の江戸諸講中や江戸商人奉納・寄進の仏具がみられ、江戸に住む信徒の参詣が絶えなかった様子が窺えます。館内施設イメージ







店舗写真

information店舗情報

休息山立正寺

〒409-1304
山梨県甲州市勝沼町休息1713
TEL.0553-44-0462
FAX.0553-20-4652
→アクセス