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こま犬がいっぱい

〜愛知県陶磁資料館〜

愛知県陶磁資料館には、こま犬がいっぱいいる。

狛(こま)犬というと、神社の本殿の両脇に設置されている石造りのものがイメージされるが、陶磁資料館にあるのは陶磁製のこま犬であり、それを200体以上所蔵している。

陶磁資料館には、本館、南館、西館の3つの展示場所があるが、こま犬は西館に展示されている。陶磁資料館のこま犬は、本多静雄氏*1から寄贈されたものが中心となっているが、常時展観できる展示室がなかったことから、昭和57年に西館が建設された。

したがって、西館は、こま犬のためだけの施設であり、展示室はギャラリー並みの小さな空間であるが、こま犬だけがズラッと並んだ館内は、不思議な魅力に満ちていて、ここを一度訪れると、「愛知県陶磁資料館と言えば、こま犬」と連想してしまう程印象的なものである。

西館 画像提供:愛知県陶磁資料館

<狛犬の歴史>

狛犬は左右で一対であるが、基本形は、向かって右側が獅子(ライオン)、左側が狛犬である。この一対を総称して「狛犬」と呼んでいる。*2

獅子は、西アジア起源*3と考えられており、王や宮殿の守護獣として装飾されたものであり、インド・中国*4を経て飛鳥時代頃に仏教美術など*5とともにもたらされた。一方、狛犬は、朝鮮半島の一角獣が高麗(こま)犬として、高麗楽(こまがく)などによって平安初期までに伝えられた。*6

こうして日本にもたらされた獅子と狛犬は玉座の前の御簾や几帳のあおり止めの鎮子(おもし)に用いられたりした後、寺院に仏像とともに置かれるようになり、中世に入ると神仏混交と修験道の影響で神社にも祠られるようになった。

しかし、明治を迎えると神仏分離が進められる中で、狛犬は神社に所属することになり、神社の本殿の左右に守護獣として鎮座することになったのである。*7

那古野神社(名古屋市中区)
に鎮座する狛犬

<狛犬のデザイン>

平安時代の狛犬の形式は、9世紀末頃に宮中の紫宸殿の賢聖障子*8に描かれたものが定着したのではないかと考えられているが、獅子・狛犬が向き合って岩座に座り、獅子は開口で、たて髪や尾が直毛に近く、狛犬は閉口*9で、頭上に枝分かれした角があり、巻き毛になっている。

しかし、こうした違いはあるものの、どちらも顔は獅子であり、開口か閉口か、角があるかないか、によって区別されるだけである。

つまり、デザイン的には、狛「犬」と言っても、犬ではなく、「獅子」であり、日本に入ってきた時に一角獣であった方の狛犬も、角にだけその形跡をとどめ、角のある獅子(?)になってしまったのである。

さらに、その角も、時代を経るにつれ、必須のものではなくなり、神社には、開口か閉口かの区別しかない狛犬がかなり多く存在している。角がなくなってしまえば、両方とも獅子であるが、それでも「狛犬」と呼ばれている。

那古野神社の狛犬
開口か閉口かの違いはあるが、
左側の狛犬の頭上に角はない
こうした狛犬の一対が多く見られる
愛知県護国神社(名古屋市中区)の狛犬
奉献は昭和36年と新しいが、
左の閉口している狛犬には角がある

<陶磁のこま犬>

陶磁のこま犬(陶磁資料館の表記にならい、陶磁の狛犬を特に「こま犬」と表記している)は、神社に奉納されたものであり、瀬戸・美濃の窯業地を中心にして行われた民間信仰の形である。

時代的には、鎌倉時代から大正時代にかけて作られているが、桃山時代までに作られたもので現存しているものは少ない。江戸時代に入ると盛んに作られるようになったが、明治に入ると次第にすたれていってしまった。

地域的には、瀬戸・美濃を中心にした地域が圧倒的に多い。したがって、瀬戸にある愛知県陶磁資料館に陶磁のこま犬のコレクションがあるのは、然るべきものが然るべき所にあることになる。

瀬戸・美濃以外では、静岡の北部山間地域と和歌山の熊野を中心とした地域に奉納されたものが知られており、奉納先としては、熊野神社・白山神社・秋葉神社といった山岳信仰として発達した社であり、陶磁のこま犬とは、こうした山への信仰から生み出された祈りの形ではなかったかと考えられている。*10

また、鹿島神社(茨城県鹿島市)や香取神社(千葉県佐原市)に伝来のこま犬があり、千利休も所持していた(現在、根津美術館所蔵)ことから京付近にも伝来していたことがわかる。

このように、広範囲に点在する分布について、吉田富夫氏は山岳信仰の修行者である山伏などによって各地に運ばれたのではないかと推察しており、本多氏は、こま犬が比較的小形であるのは、山伏の厨子(ずし。仏像を安置する両扉の箱)に入れて携帯できる大きさとして適当だからであろうという見解を持っている。*11

<こま犬を楽しむ>

陶磁のこま犬は、神社に鎮座する石造りの狛犬に比べて、あたたかさが感じられ、人の手のぬくもりが感じられる。また、ゆがみが茶碗のような味わい深さや愛着を感じさせる。

安土・桃山時代までは形式に沿ったものが多かったが、江戸時代に入ってからのものは、民間信仰のためか、あるいは粘土の持つやわらかさも影響しているのか、形式にとらわれず、自由に製作されたものが多くなり、表情も豊かになる。

こま犬の歴史からして、獅子の姿が正調なのだが、いわゆる「犬」の姿だったり、多分、猿だったり、あるいは、なんだかわからないものがあったりする。元々、獅子と一角獣だったものが一緒になってしまったのだから、わけのわからないものになったところで、やかましく言う必要はない。

こうした自由さ・軽さ・遊戯性は、俳諧のようであり、飄々とした面白味が感じられる。

室町時代のきちんとしたこま犬
明らかに犬である
猿?
桃山時代のものだが
力の抜けた感じがいい

モデルが不明だが
飄々とした感じがいい。

俳人のようである 
 
顔がひょうきんで、
体は太り気味である
迫力のある表情をしているが、粘土のやわらかさが感じられ、
前足が細いためか、重々しくならずに軽やかである。
名家加藤孫右衛門家の十代目で
歴代中の名手と言われた春丹の作
人物獣の細工を得意とした
 画像提供:愛知県陶磁資料館

ところで、西館以外にもこま犬がいる。本館から陶芸館(作陶体験施設)の間に架かる橋にこま犬のレリーフがあったし、売店では「こまいぬくん」のマドレーヌも売られていた。他にもどこかにこま犬がいるかも知れない。こま犬を探しながら、敷地内を散策してみるのも面白い。

<こま犬からノベルティへ>

西館のすぐ近くに南館がある。南館には、近現代の様々な陶磁器産業が紹介されているが、中でも“ノベルティ”*12と呼ばれる陶磁器の置物が素晴らしい。

瀬戸における置物は、先に書いたとおり、鎌倉時代からこま犬が作られており、その歴史は古い。江戸時代に入ると仏像や動物などの置物も行われるようになり、江戸時代後期から明治時代初頭にかけて「陶彫」という新しい分野が確立された。

瀬戸においては、食器・花器などが主力の製品であったが、明治時代中期頃から新たに玩具の生産が始まり、大正時代初頭にはアメリカが世界最大のノベルティ需要国となったが、その市場で信頼を築いていき、多くのノベルティ・メーカーが瀬戸に誕生することとなった。

特に、戦後は食器類の輸出が伸び悩んだ反面、ノベルティ(統計上では「玩具置物」)が増加し、1970年代には輸出陶磁器販売額の40%前後を占めるまでになった。

しかし、円高が生産額の減少を招き、1985年のプラザ合意による更なる円高の影響を受けてその生産は大きく後退することとなった。*13

南館 画像提供:愛知県陶磁資料館

せっかく来たのだからと南館に寄ってみたが、こま犬とノベルティは実はつながっており、瀬戸の焼き物の長い歴史の中で、置物製作の技術が脈々と受け継がれているのを感じることができた。

陶磁資料館の敷地の中には、他にも、いろいろな見どころがある。時間があれば、一日かけて、ゆっくり回ってみてはどうだろうか。

  陶磁資料館までの行き方、その他の見どころはこちらをご覧ください
 その他の情報は、陶磁資料館ホームページをご覧ください(外部リンク)