用水路建設の最前線から

PMSワーカ(水路計画担当) 鈴木学
ペシャワール会報79号より
(2004年04月14日)

貯水池口でスコップをふるう日本人ワーカ
(左より石橋、清宮、宮路、鈴木祐治、
大越、紺野、鈴木学、本田)
(2004年02月)
怒濤の3カ月

この3カ月間は、まさに怒濤のように過ぎ去った。総力戦と呼ぶにふさわしく、人員も重機も資材も使えるものはすべて投入しての3カ月だった。

実際、中村医師、橋本さん、清宮さん、石橋さん、鈴木祐治さん、伊藤さん、小宮君、そして自分。水路に日本人常駐スタッフだけで8人という異例の体制が敷かれた。現場に日本人を増やし、各自が直接中村医師の指示にしたがって迅速に各地区を完成させていかなければならない。それほど時間は切迫しており、雨季の到来は迫っていた。


聖牛と蛇籠を使った対岸の護岸
雨の中の作業では、危険度が急上昇するのとは反比例して作業が全くはかどらない事は、これまでの経験から痛いほど身にしみていた。アフガニスタンにおいて不届きとも思えたが、毎晩明日の晴天を祈って眠った。そして最も重要なことは、クナール河の水位は徐々に増加の兆しを見せており、「取水口と水門」、「斜め堰」、「取水口の対岸の護岸」の3つの工事は絶対に増水開始前のこの時期を逃すわけにはいかないということだった。水位の上昇はこの3つの工事を不可能にし、これは最悪の場合、大量の水が水路内に流入し水路が崩壊することや、冬季の取水が出来ない水路になることや、斜め堰の影響で夏季に対岸が削られクナール河の流れが変わる等の、水路にとって致命的ともいえる欠陥を残すことを意味した。もちろん、最低水位時における通水を目標としているからには、D地区までの全区間1カ所でもとりこぼしがあってはならない。

文字どおり背水の陣が敷かれ、中村医師が「やるか、やられるか」と表現された水との闘いが各地区、各ポイントで並列的に進められた。アフガン東部、人家もほとんどなく夜はかなり危険な場所だとされるクナール州とニングラハル州の境ジェリババには、3カ月間休みなく日本人が働きつづけ、日本人の執念が充満していたと思われる。

福岡・筑後川の斜め堰を参考に


取水口の水門の作業現場(2004年02月)
「冬の最低水位においても取水可能な水路を」という中村医師の思いは現実のものとなった。先生と見に行った筑後川の山田堰。そこからヒントを得たというすばらしい斜め堰が出来上がった。

長さ100m以上もあるこの斜め堰の完成は、中村医師、石橋さん、鈴木祐治君の大奮闘なくして成し得るものではなかった。対岸の護岸はこれも鈴木祐治君が大変な悪条件のなか、粘り強くやり遂げてくれた。最も難関と言われ最大深部8mを超す岩山開削部分を最も早く、丈夫な水路に仕上げた清宮さん。伊藤さんと小宮君の活躍によりD地区の溜め池にすばらしい堤ができた。
オフィス、農業、井戸そしてこの水路と、全てを一手に引き受けた大黒柱・橋本さんの働きには本当に頭が下がった。まさに大車輪の活躍で重機のアレンジ、植樹の指導をしつつA地区を仕上げ、見事な大工仕事で鉄筋コンクリートの水門の型枠をあっという間に作っていただいた。現地の大工には、間違いなくお手上げのこの迅速かつ完璧な仕事のおかげで、水門のコンクリート打ちを最短で終わらせることができた。こうして、斜め堰を先に延ばして川の水位が上昇しても、水門で水の進入を止める準備ができ、水門と斜め堰の「心中」は回避された。水門のコンクリート打ち(鉄筋配置後、型枠を設置、その後コンクリートを流し込む)は水がない状態でないと無理、これを終えない限り斜め堰を延ばすことは不可能だったからだ。


取水口工事現場(2004年01月)
強固な取水口さえできれば…

自分はといえば、「強固な取水口さえできれば何とかなる」という一念に頑としてこだわり、この3カ月間朝から晩まで取水口でレイバー(作業員)と悪戦苦闘していた。大量の蛇籠ピラミッドを組み上げ、部厚い鉄筋コンクリート構造と一体化させた。クナール上流側から見ると要塞のように見え、「またヘリに攻撃されるんじゃないか」と先生は笑っていた。蛇籠プロジェクトは万全の結果を出し、聖牛プロジェクトのメンバーは現場で蛇籠の組み立てから鉄筋の折り曲げ、配置、コンクリート打ちまでこなし、彼らを夏から地道に育ててきた成果は期待を上回るものだった。

取水口で使用した蛇籠(布団籠:2×1×1m)だけで1000個、使用鉄筋総重量が12トン、打たれたコンクリートは470立方メートル。水路全体でこれまでに使用した蛇籠の体積は7000立方メートルを超える。これは、一枚ずつレイバーによって丈夫に編み上げられた蛇籠、その亜鉛メッキ鉄線だけで80トン以上になり、岩山を砕いて運び、蛇籠内にひとつずつ積み上げた石の総重量は13000トンを超えたことを意味する。約1万個の土嚢や、大量の柳の植樹も含め、この水路が如何に手作りの水路で、多くの人の手によってひとつひとつ地道に積み上げられてきたのかを改めて感じる。

聖牛を使った護岸工事現場の鈴木学ワーカ(左)
中村医師自ら行った苦心の測量の成果がよどみなく流れる美しい水路を作った。突貫工事だったため、一部で水が抜けるというアクシデントはあったにせよ、夏の増水期に向けて改修工事をを早めに行えることを考えると、むしろよかったと思われる。

多くの人達の協力を得て通水は成功。今後も、植樹、土嚢の設置、取水口付近とC地区の護岸強化など、水路をより頑丈なものにしていくための作業は継続していかねばならない。そしてD地区以後の区間の工事も再開される。

改修工事現場 (左はクナール河)
山の雪が非常に少ない今年、旱魃の不安が胸を過る。現在通水を完了しているD地区から、さらに3キロ先まで水路を延ばしたい。出来る限り早く。ここまで水を通せれば多くの田畑に水を配ることが可能になる。今年の夏を目標に何とか実際に水を運んでいきたい。多くの日本の良心が現実の形となって、命の水が乾いた大地を潤すために。

ご協力、本当にありがとうございました。

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