* 診療所案内 *


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PMS基地病院
ペシャワール(パキスタンの北西辺境州)
診療所
ラシュト(パキスタンの北西辺境州)
・コーヒスタン(パキスタンの北西辺境州
/2002年06月01日閉鎖)
ダラエ・ヌール(アフガニスタンの東部山岳地帯)
ダラエ・ピーチ(=沖縄ピースクリニックのこと)
ワマ(アフガニスタン西部)

*ダラエピーチ診療所とワマ診療所は2005年1月、アフガン政府に譲渡しました。

* 医療事業について *



1978年、中村哲医師 福岡登高会のティリチ・ミール遠征隊同行医師としてパキスタンに初入国しました。

1982年、4月、パキスタン・ペシャワール・ミッション病院よりJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)に医師の派遣要請がありました。

1983年、4月 JOCSが中村医師の派遣を決定しました。5月、ペシャワール会発会第一回準備会が開催されました。 初代事務局長に佐藤雄二医師(故人・中村医師の大学時代の同級生)が就任しました。9月 ペシャワール会発会式 記念講演会開催 約三〇〇名が参加し、会長に問田直幹氏(故人 当時九州大学名誉教授)が就任しました。

1984年、5月、中村医師がパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に着任しました。

1986年4月、中村医師 足底穿孔症(うらきず)予防用のサンダルの工房を病棟内に開設しました。アフガン難民への診療を本格的に開始。

1987年1月、中村医師とアフガン人医療チームハンセン病多発地帯のアフガン難民キャンプ巡回診療を開始しました。

1988年9月、初めての日本人長期ワーカーとして安部美智子看護師が着任しました。

1989年1月、JAMS(日本・アフガン医療サービス)発足をアフガニスタンに設立しました。

1990年9月、藤田千代子看護師が着任(副院長として現在に至る)12月 パキスタン国内・テメルガール診療所を開設しました。12月、ダラエ・ヌールにアフガニスタン国内初の診療所を開設しました。初代事務局長・佐藤雄二氏逝去されました。


1991年、拠点としてダラエヌールに最初の診療所を開設し、以来
東部山岳部の3診療所を中心に医療活動を開始。

1992年1月、 村上優医師が二代目事務局長に就任しました。5月、アフガン難民の爆発的な帰還が始まりました。12月、ダラエ・ピーチ診療所を開設しました。

1993年8月、ダラエ・ヌール診療所で悪性マラリアを確認し、「キニーネ」による集中的な巡回投与を決定しました。11月、中村医師の要請で募金活動を展開しました。翌年1月末までに募金は二千万円以上、二万人の命を救いました。(残余寄金は「マラリア基金」に)

1994年4月、 ヌーリスタン西部地区のワマ診療所を開設しました。7月、問田初代会長の後任として、髙松勇雄副会長が会長に就任しました。 10月、ペシャワール・ミッション病院拠点の活動を終了し、翌11月にはPLS(ペシャワール・レプロシー・サービス)病院を設立しました。ペシャワール市内で活動を開始しました。12月、ペシャワール会の現地組織名PREPがパキスタン北西辺境州から社会福祉法人として認可されました。

1995年、4月 パキスタン北部チトラール地方への定期診療の準備・調査を開始しました。

1997年1月、新病院の用地を買収、建設が着工しました。4月、 ペシャワール会現地事業がパキスタン連邦政府の国際団体PRS(Peshawar-kai Relief Service)として認可されました。

1998年4月、 PMS(ペシャワール会医療サービス)病院が完成、9月に開設、 パキスタン最北端のラシュトに診療所を開設しました。

1999年11月、コーヒスタン(パキスタン)に診療所を開設しました。


2000年、医療事業と並行して水源確保事業を開始。5月、JAMSの名称を廃止 アフガニスタン側事業はPMSが直轄 「PMSアフガン・プロジェクト」と改称しました。 6月、アフガニスタンを含む中央アジア全域で深刻な旱魃が拡大していたため、アフガニスタンでの水源確保事業を開始しました。井戸の掘削を中心にカレーズ(伝統的地下水路)修復に取り組みました。


2001年(報告書を読む)、『アフガンいのちの基金』設立。空爆下、アフガン国内避難民へ緊急食料配給を実施。

3月、アフガニスタン首都カーブルに五カ所の臨時診療所を設置しました。

6月、ダラエヌールで灌漑用の大井戸に着手し、2003年9月までに5基が完成しました。アフガニスタン・パキスタン国境のトルハムでも井戸掘削工事が開始しました。

8月、PMS水源確保事業による掘削井戸が六〇〇ヶ所を超ました。

9月11日、米国ニューヨークの世界貿易センタービルに二機の民間航空機が突入しました。14日、中村医師ほかPMSスタッフが外務省の勧告を受けアフガニスタンより出国しましたが、ペシャワールで活動は継続しています。 10月8日、米英軍がアフガニスタンへの大規模空爆を開始しました。9日、PMS副院長を中心としたスタッフが食糧配給計画の調査のため、アフガニスタンに入国しました。12日、ペシャワール会はアフガニスタンへの食糧配給計画「アフガンいのちの基金」を発表しました。20日、ペシャワールからの食糧輸送第一便が国境を越えアフガニスタン・ジャララバードに到着しました。23日、ジャララバードで食糧配給を開始しました。30日、カーブルでの食糧配布を開始しました。


2002年(報告書を読む)、2月までに15万人に配給


2003年(報告書を読む)、 「沖縄ピースクリニック」が完成。診療の傍ら、通院できない山岳部の人々のため巡回診療も行われます。8月31日、中村哲医師がフィリピンのマグサイサイ賞(平和・国際理解部門)を受賞しました。


2004年(報告書を読む)、沖縄ピース・クリニック、ワマ診療所の2つを一時撤退しました。


2005年(報告書を読む)、 1月、ダラエピーチ診療所(オキナワ・ピース・クリニック)、ワマ診療所をアフガン政府に委譲しました。2診療所を移譲し、用水路工事など医療以外の仕事が増え、医療職の人材流出など悪条件の中、診療は継続します。7月16日、髙松勇雄会長が退任し、名誉会長に就任しました。後藤哲也医師が会長に就任しました。10月8日、パキスタン地震が発生しました。10月12日~14日、 PMS病院から地震被災地バタグラム、マンセーラ、バラコートに緊急援助物資を輸送しました。


2006年(報告書を読む)、PMS基地病院が、パキスタン政府から事実上の診療所閉鎖要求を受けました。


2007年(報告書を読む)、 PMS病院を、ぺシャワールからジャララバードへ移転させる計画を開始。


2008年(報告書を読む)、戦乱によって診療所が閉鎖へと追い込まれながらも延べ73,000人を診療しました。


2009年7月(報告書を読む)、閉鎖要求(2007年)を受けたPMS基地病院が地元団体に譲渡され(中村医師による報告)、唯一ダラエヌール診療所のみでの診療を続けます。

2010年

1月、現地事業体名を、ペシャワール会・医療サービスから、平和医療団・日本へ変更(いづれもPMS)

8月、大洪水によりダラエヌール渓谷でコレラ発生し、ダラエヌール診療所が地域の主力として診療しています。

2013年

1月、ダラエヌール診療所を増築しました。

2月、ダラエヌール診療所における女子診療施設の増設で祝賀会を行いました。

2014年

7月17日、中村医師と27年間活動を共にしたサルフラーズ看護師が不慮の事故で逝去しました。

9月、ダラエヌール診療所がナンガラハル州政府から表彰されました。



現地スタッフの医療教育にも重点を置いて実施しています。
イスラム的風習の中で恩恵を受けにくい女性患者の治療にも傾注し、現地の文化・慣習を尊重して、女性ワーカーの育成など、実際的な診療を目指してきました。

 

総診療数:約43,000人(2016年度)