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人間と自然との関係が大きく浮き彫りにされた一年間
~2010年度現地事業報告


PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報108号より
(2011年07月13日)

今年は灌漑地で麦などが大豊作となった

2010年度を振り返って

 2011年を以て、現地活動は29年目、ペシャワール会は30年目を迎える。この間、様々なできごとがあったが、ここまで来るとは想像できなかった。

 十年前に旱魃と飢餓に遭遇して以来の劇的な展開が、現在の局面に私たちを導いてきた。 そして奇しくも、現地は大洪水、日本は大震災に見舞われ、人間と自然との関係が大きく浮き彫りにされた一年間であった。

 ペシャワール会の支持者の多くが大震災被災地へ救援に駆けつけ、労苦を共にしようとしたのは、決して偶然ではない。目を凝らせば、日本でも現地でも、等質の問題が横たわっているからだ。人為が自然を制することはできない。人は自然の懐の中で身を寄せ合って生きている。人間もまた自然の一部なのだ。 言葉で自然は欺かれない。自然の前で政治的な茶番は見苦しい。利を得るために手段を選ばず、暴力と巧言でなりふり構わず貪る時代は先が見えた。

 ここ現地でも、米軍撤退が取りざたされる。だがもう興味がなくなった。暴力は暴力で倒され、茶番で始まったものは茶番で終わる。そして世の関心が去るとき、結局は自分たちで後始末をせざるを得ないのは、これまでと同じことだ。

 吾々は何を後世に残そうとするのか。どんな生物でも、子孫の生存に力を尽くして死ぬ。 自らの安逸のためだけに、それも架空の富や権勢や名利のために、人が欺き合い、殺戮し合うのは、もう沢山だ。わずかな安楽のおこぼれに浴するために、時世におもねることはない。それが虚無感と自傷他害に至る自滅の元である。

 吾々の良心的協力が、立場を超え、国境を超えて躍動しているのは、自然の理に適っているからだ。己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ。そこに生じる喜怒哀楽に翻弄されながらも、結局はそれ以上でもそれ以下でもない。だが自然の理に根差しているなら、人は空理を離れ、無限の豊かな世界を見出すことができる。そこで裏切られることはない。

 現地事業は見世物ではない。人間の実態に迫る生きるための努力である。報告を借りて、温かい関心をいただいた人々に心からの謝意を表し、この事業に携わる現地の人々の汗と労苦に思いを致していただければ幸いである。

 2011年度も変わらずに力を尽くしていきたい。

2010年度の概況

 

過去最悪の治安

   2009年に行われた欧米軍増派は、いっそうの治安悪化をもたらした。2010年は外国兵への襲撃だけでなく、ほとんど無意味とも言える軍事作戦が多くの市民を殺傷した。 外国兵・一般市民の死亡は過去最悪の記録を更新した。

 一般住民とタリバン兵を区別するのは不可能である。殺戮されたのは殆どが普通の農民・市民であったと噂されている。外国軍は12万人に膨れ上がり、初期の十倍以上となったが、混乱も比例して増えた。軍事介入は、おびただしい犠牲者と取り返しのつかぬ混乱をもたらしたと言えよう。

 無秩序が農村部まで拡大し、多くの地域で住民同士の紛争が頻発した。この紛争の背景には、「米軍撤退」をめぐって、外国勢力や犯罪グループの暗躍があるとも、軍閥内部の抗争だとも伝えられている。

 憶測の真偽は、地域により事例によって異なる。だが確実なのは外国軍と中央政府が騒乱を収拾する力を失ったことである。無人機による爆撃の多発も最近の顕著な傾向で、主としてパキスタン国境沿いの村落で、日々多くの人々が命を奪われ続けている。

 

農村部の混乱

 PMSの作業地・北部ナンガラハル州は比較的安定しているが、クナール州境付近でISAF(国際治安維持軍)に対する襲撃が活発となり、マルワリード用水路も取水口から5キロメートル地点まで、職員さえ立ち入りにくい状態に陥った。ダラエヌール渓谷では、勢力を張る軍閥が分裂抗争、村々と対立している。

 民心もこれに伴って動揺、PMS診療所の土地を提供していた人の親族が暗殺され、地域間の抗争と共に、外国軍に対する敵意が一層深まり、爆発寸前となった。2011年4月、ダラエヌールの村落同士の対立でANSO(アフガンNGO安全事務所)から撤退の打診があった。

同様な敵対関係が東部アフガン一帯で広く起こり始め、農村を律してきた不文律が内部から大きく崩れようとしている。これを加速したのが「復興支援」の名で与えられた有力者への買収工作で、貧困層の間では公然の秘密となっている。地域長老会の権威が消滅すれば、収拾のつかぬ事態になるおそれがある。

 

パキスタン北西部の混乱

 2011年5月1日、米軍の単独行動でオサマ・ビンラディン氏が殺害されると、パキスタン側で「主権侵害」の声が上がり、大規模な抗議運動が展開された。アフガン側では大勢に影響なかったものの、外国軍への軽蔑と敵意がいっそう深まった。パキスタン国境沿いでは最大の勢力を誇る武装勢力が出没し、同時に米軍側の無人機攻撃による犠牲者を連日出し続けている。ペシャワールの治安は再び著しく悪化した。情勢はいよいよ複雑怪奇、かつ大規模な動きである。

 カルザイ政権は「タリバン勢力との和解」を掲げ、米軍の撤退期限に合わせるように2014年に退陣することを表明、もはや終局にさしかかったことを印象づけた。しかし、撤退後に生じる事態は誰も予測できず、人々の間で不安が蔓延している。

 一方、パキスタン=アフガニスタン両国の歩み寄りは経済関係で見られ始め、アフガン側の農産物、希少金属、手工芸品らの輸出に便宜を図る協定が2011年5月、再発効した。また、東部で圧倒的に強いパキスタン・ルピーの流通は止めることができず、両国を切り離すのは不可能である。長い外国軍の駐留は、基地経済、援助経済とも言える依存体質を作っており、今後も進行し続けると思われる旱魃=農業生産低下と相俟って、貧困層の間に行き詰まり感が拡大、先行きを更に不透明にしている。

 

大洪水の影響

 2010年8月に発生した空前の大洪水は、パキスタンほど甚大な被害を与えなかったが、東部アフガンのクナール河沿いで猛威を振るった。約100名が死亡と伝えられ、吾々の灌漑事業にも大きな影響を及ぼした。洪水が取水堰などを破壊し、異例の集中豪雨と鉄砲水が連日山麓で発生、用水路の至る所で改修工事を余儀なくされた(後述)。

 

PMS事業の概況

 ダラエヌール診療所は変わらずに続けられたが、同渓谷にある村落同士の対立で、活動を拡大できずにいる。唯一残ったPMSのダラエヌール診療所は、間もなく20周年を迎えるが、既述の治安悪化を受けてANSO(アフガンNGO安全事務所)から、活動引き上げの打診があった。だが、医療職員は動揺せず、診療を継続している。

 大洪水のあおりを受け、2010年度で最大の仕事となったのが水利事業、特にクナール河流域の河川工事である。これは建設されたマルワリード用水路の改修、既設取水施設の大規模改修、護岸工事、懸案のカマ取水設備(堰および取水門、主幹水路)が含まれ、PMSとしては過去最大の物量投入を余儀なくされた。

 ここに至り、JICA(独立行政法人国際協力機構)共同事業としてカマ第2取水口・主幹水路の再建設、対岸ベスード郡の護岸工事が実施され、PMSが財政的な窮地をしのげたのは天佑であった。この結果、予定された工事は遅滞なく行われ、ジャララバード北部14000ヘクタール、60万農民の生活を保障する見通しが確実になった。

 特にカマ取水口・堰建設の成功は大きな希望とインパクトを地域に与えた。

 東日本大震災の影響でPMSの財政枯渇が予測されると、直ちに緊縮態勢が実施された。 ペシャワール会からの補給が極端に減少すると、これまでのような自在な動きが封ぜられる。今後もJICAなどとの良心的協力は継続されるが、文字通り「共同事業」であって、立案から設計・施工まで一貫して動けるPMSの独立性と自由さが前提である。多少規模を縮小しても、PMS独自の判断で計画実施できるものでなければならない。一方、現在が最も吾々の支援を必要としている時期である――およそこのような中での苦しい判断であった。

2010年度の現地活動の概要

1.医療事業

 2011年4月、ダラエヌール診療所付近に混乱が及び始めると、ANSO(アフガンNGO安全事務所)から、「撤退打診」があった。私の一存で決めるわけにもいかないので、勤務する医療職員に図ると、「今患者を助けねば、いつ助けられるのか。数あった医療機関は活動を事実上引き上げ、誰が患者を診るのか」と、一致した意見が強く述べられた。

 職員たちにしてみれば、現在以上の混乱期に診療活動を開始し、誰からも撤退を強いられることがなかった。それに、彼ら自身が故郷に愛着を持つ地元民である。20年の間には、何度も危機的事態に遭遇し、診療活動だけで2名の殉職者さえ出したが、話題にならなかっただけだ。勧告を謝絶したのは、当然の心情であったろう。

 ダラエヌール診療所はアフガン内で最初に設立された基地であり、間もなく20周年を迎える。他の診療所が戦乱で次々と閉鎖される中、最終拠点として活動が継続された。2010年度の診療内容は別表の通り。

2.水源事業/JICAと共同事業

 既述のように、大洪水によって多くの場所で改修工事が必要となり、中でも河川工事が大きな比重を占めた。

 2010年9月に立てた計画は以下の通り。 これを二年がかりで実施しようとするものであった。

a.マルワリード取水堰・水門の全面改修
b.カマ第1取水門補修・堰の全面改修
c.カマ第2取水口の建設
d.カマ第2用水路・主幹1㎞建設
e.カマ用水路対岸の護岸工事
f.ベスード取水堰(カブール河)建設
g.シェイワ取水堰の河道回復工事
h.ダラエヌール土石流路の護岸工事
i.ガンベリ沙漠開拓地の給排水路建設

 このうち、c、d、e、fを「JICA共同事業」とし、急を要するカマ用水路に集中、ベスード第一取水口は2011年度実施とした。共同事業は、「JICAが現地PMSに委託」という形をとったが、PMSにとって初めての例だった。2010年10月に契約が成り、11月から動き始めた。

 しかし、河川工事は夏の準備期間で成否が決まる。実際には、交通路敷設、石材らの輸送、再調査に基づく最終設計らは8月に始まっており、10月には基礎工事に取り掛かっていた。一般に河川工事は、最も理解されにくい仕事のひとつで、不確定要素が余りに多い。 しかも、川の水位が下がる11月から翌2月までの短期に一挙に済ませなくてはならぬ時間的制約がある。財政的裏付けを得て夏の準備工事に着手できたのが成功につながった。

カマ用水路・取水口・取水堰

 カマ用水路はPMSが2008年に仮工事として堰の工事を毎年くりかえして来たから、立案・設計は容易であった。だが、実際の施工となると別で、巨大河川を相手に周到な準備が必要であった。昨夏の大洪水は100年に一度の規模とされ、この想定に基づいて計画が立てられていた。では、200年、300年に一度の場合は、どうなのか。

「想定外はいつでも起きる」と想定するのが、自然に対する人間の節度である。近年自然災害を確率の問題にすり替えて安心する傾向があるが、それは大切な目安ではあり得ても、煎じ詰めればまじないか賭博の世界と大差ない。

 だがこれが護岸工事と共に、堰を作る際、最も苦慮される点である。洪水にも耐え、渇水期でも取水できるものとは、人間側の虫のよい考えであり、まさに人為と自然の危うい接点なのだ。堰に限って言えば、まさかの時、人里が崩れるよりは、堰が崩れる方がよい。 また、人里と河とは思い切って離し、遊水地らの遊びを作ることである。

 ここでも、筑後川の斜め堰の方法が採用されたが、成功したと見られたマルワリード取水堰も洪水で破壊され、新たな工夫を加えねばならなかった。

 また、カマ取水口は過去半世紀、「誰も成功しない」とされ、肥沃な穀倉地帯・カマ郡7000ヘクタールは、年々荒蕪地が増えていた。人口30万のカマは、土地の荒廃で半分が難民化していたといわれる。

 この主因は年々進行するクナール河の水位変動にあった。近年の気候変化に伴い、ヒンズークッシュ山脈の雪解けが初夏に急激に起き、冬季には逆に渇水に陥る。洪水と水欠乏が同居する、夏冬の極端な水位差である。

 この状態で堰き上げの高さが非常に重要になる。冬の作付けを守ろうと高くすれば、夏の洪水の危険を増す。夏の洪水を避けようと低くすれば、冬の取水ができない。

 この問題については、急流河川の多い日本では、近世に完成した技術があった。それが斜め堰である。基本は越流水深を必要最低限に抑え、そのために越流幅をできるだけ広くとることである。だが、マルワリード堰が壊されると、さらに入念に検討された。カマ取水堰の場合、夏の越流幅を500メートル以上とした。このため、中洲全体を堰の連続とし、中洲の洗掘防止策を徹底した。

 また、クナール河の夏の水はおびただしい土砂を含み、取水口をしばしば埋めてしまう。このために設けられるのが「砂吐き」、「余水吐き」である。これでも土砂堆積は防ぎ得ないので、下流側で「沈砂池」に導き、スライド式水門で底水を排出し、堰板水門で上水を水路に送る。

 また、取水堰と同様、取水門の幅を思い切って浅く広くとることも大切である。このため、カマ第2取水口は異例の幅となり、大きな水門となったが、後の改修の手間を考えると最も安全かつ効率的だ。これに流水圧を減らす二重の堰板列とした。

カマ第2取水口。二列の堰板から階段状に水が落ちる。
堰板はレバノン杉。厚さ5cmに鉄板を貼り付けて浮力を殺す。

堰板
カマ取水堰と主幹用水路の概要
各区別概要(流量・工種など)

■カマ取水口完成の意義と農村復興

 かくて気候変動に応じる取水技術は、カマ第2取水口を以てほぼ完成した形になったと思える。この意味は少なくないことを強調したい。「農業復興」と言っても、水あっての話である。灌漑なくして農業なく、用水路なくして灌漑なく、取水堰なくして用水路はない。現地の旧来の方法が近年の気候変動に対処できず、結果、農業生産のジリ貧の低下を招いてきた。カネはいつか無くなるが、水に潤される土地は、営々と生産を続けることができる。

 カマ取水口完成はナンガラハル州の長い悲願であった。PMSとしては、おそらく多くの人々が見学に来るカマの堰にモデル的なものを作っておけば、取水技術は自ずと広がり、農業生産増加につながっていくと期待したのである。

 2011年4月15日、正式に行政当局に通知され、シェルザイ州知事自ら開通のテープを切った。夏の一日送水量は約105万トン、冬は約40万トン、十二分な水量である。 この陰には、窮した農民たちの結束があり、カマ長老会の「ひと冬分の小麦をつぶしても完成」という決定が、大きな支えとなったことは述べておかねばならない。

 

取水口対岸・ベスード護岸

 このカマ堰の対岸は、大洪水で数百ヘクタールが冠水した所である。堰の建設で洪水時の水位も当然高くなるので、同時に施工した。 初め、カマ第1・第2主幹水路沿い対岸、約2キロを予定していたが、11月の低水位期になって、驚くべき事態が判明した。ベスード郡全体が、下流に向かって低い盆地で、クナール河はその高い位置をかすめるように流れる天井川のようになっている。工事予定区間の1700メートル地点で、湾曲して同盆地へ進入する大きな分流が主流と化し、低地に向かって滔々と流れていた。洪水でなくとも夏季に大被害を及ぼすのは明らかであった。

 そこで急きょ予定工事区間を延長、全体を3500メートルとし、進入路の閉塞、河道中心線の掘削を図った。ベスード側分流と主流との間にかすみ堤(不連続堤防)を設けて分流へ注ぐ水量を減らし、ベスード側では防御線を思い切って河から遠ざけて堤防を置き、低位置に石出し水制7基を設置した。

 こうして取りあえず危機を脱し、河道中心へ流れを集め、低い分流に注ぐ水量は調整された。増水後、大きな被害はなく、堤防上部の天端工事はなお続けられている。連続堤防の1800メートル地点までは専ら巨礫による捨石工を採用し、堤防高約6~8メートルを築き、川底を深くすると共に、川幅を約50メートル拡大した。

 増水期の6月20日現在、水面から天端までの高さ4~5メートル以上、冬の低水位との差は約1メートル以下、昨年程度の洪水なら大過は想定しにくい。万一冠水しても、広い畑が遊水地と化し、悲劇的な事態は避け得る。現在、川沿いに植樹を進めている。


ベスード側の護岸工事。巨石による1700mの捨石工。
昨夏の大洪水余裕高を洪水レベルより1.5m以上とる。

カマ取水堰対岸(ベスード)護岸 2011年6月20日現在

PMSによる護岸工事の概要(2010.11~2011.10)

カマ対岸(右岸ベスード側)簡易護岸モデル(低水位護岸と堤防)の基本構造 川幅200m以上の場合

マルワリード用水路の復旧作業

 大洪水は用水路沿いにも集中豪雨を伴い、同用水路全線、10数カ所で土砂流入、決壊が起きた。中でも取水口近傍のジャリババ渓谷からすさまじい量の土砂が流入し、沈砂池を埋めつぶした。  最大の被害は取水堰の被害である。堰そのものは破壊されなかったが、堰を渡した大きな中洲が流失した。これによって水位が下がり、洪水流入は起きなかったものの、11月には用水路流域に深刻な渇水状態をもたらし、ガンベリ沙漠開拓も中断した。

 2010年12月から復旧工事を始め、2011年1月までに必要水位を回復した。河道を分割して礫石で中洲を復元、蛇籠を埋設して急流に耐えるようにした。対岸カシコート村の指導者が作業を妨害したため、中断しているが、今秋まで待つ以外に方法はない。 妨害とは重機の拿捕で、自分の村の護岸工事を要求したものだったが、PMSはゆとりがなく拒否、重機を奪還して中洲から引き上げた。

 浚渫工事は最低必要限だけを行い、これも2011年度に持ちこされた。

その他の河川工事

 シェイワ取水口では洪水流入は水門から5センチを超えるだけで、大きな被害はなかった。しかし、河道が砂利で埋まり、10月になって水が途切れた。幅20メートル、長さ約800メートルを掘削して河道回復を図り、急場をしのいだが、本工事は次年度に持ちこされた。

 ダラエヌール渓谷下流、用水路サイフォンが埋設される土石流路は、激しい流れで水があふれる寸前となった。川幅を広くすると共に、中心部を掘削して深くし、両岸堤防を約600メートルにわたって高くした。

3.農業関係

 2010年度、約45ヘクタールが開墾され、初の水稲栽培が3ヘクタールで行われた。 小麦栽培が約35ヘクタールで収穫を得た。 しかし、この間、ガンベリ沙漠でも集中豪雨による鉄砲水が襲い、洪水排水路の建設が改めて痛感された。

 一方、クナール河―シギ村から掘り進んできた排水路網は、ガンベリ下流のクナデイ、カラテク村の湿害を一掃し、中小のものを入れると、計35~40キロメートルに及んだ。

 湿地処理は一応全ての耕作地を回復しているが、排水路主幹が狭く、将来的にガンベリの全ての水が通過することを考えると、十分な排水能力があるとは言えない。とくに急激な鉄砲水は、湿害を増す恐れがある。ガンベリ沙漠は、表面は砂であるが、1~3メートル地下に厚い粘土質の地層がある。思ったより保水性がよいのはこのためで、灌漑が進むと一部は湿地化する。

 洪水対策だけでなく、灌漑=分水路敷設に伴う浸透水貯留を防ぐため、主要排水路の建設、計約12キロメートルを進めた。2011年度中に完成予定。
ガンベリ砂漠・シギ村周辺排水路要図 橋と水門位置(2011年6月現在)
 2回の夏を越した新開地は、熱風と砂塵にさらされ、収穫に影響が出ることが分かってきた。ことに2011年5月初旬から6月中旬まで5週間、猛烈な砂嵐が連日襲い、約20ヘクタールを除いてことごとく砂に埋めつぶされた。一部には砂丘が出現し、改めてその猛威を知った。概ね防風林の成長していない場所で被害が多く、砂嵐の季節が去るのを待って、植樹に全力を上げる。なお、これによって、2011年度の水稲植付は中止、小麦まきの季節までアルファルファ・落花生・大豆らの豆類やトウモロコシを主に植えて緑肥とする予定。

 2011年度は、植林・給排水路の整備が中心で、本格的な農業生産活動は行えないのが実情である。なお、用水路開削以来、総植樹数は80本、年内に100 万本に達する。


成長したガンベリ砂漠の防砂林

4.ワーカー派遣

2010年度は、以下のワーカーが事業に参加した。余りに多い作業地を抱え、一人では不可能と考え、駆けつけてくれた数名を呼び寄せたが、治安悪化とケアのゆとりのなさを考慮し、現場は慣れた鈴木学一名にしぼった。事務・会計関係では、杉山・村井が定期的にジャララバード市内に滞在した。2011年度は、現場=中村、会計=村井の二名とし、リスクを減らす。

 なお、日本国内から通信だけで進め得る仕事は少なからずあるが、事業の性質上、現場での監督・指導なしに河川工事も医療活動も進まないことは理解いただきたい。また、会計も同様である。

 日本側ではペシャワール会がボランティアの良さを生かして募金・報告活動を行い、現地側ではPMSが実事業を進めるのが本来の姿かと思われる。どちらが先という問題ではない。どちらが倒れても事業は分解する。実戦部隊と後方支援との違いで、PMSはボランティア団体ではない。職員百数十名、作業員400名の生活・生命、そして何よりも現地数十万農民に責任を負う事業体である。事業の挫折は、彼らが路頭に迷うことを意味する。

 両者が協力せねば成り立たないのは言うまでもない。だが、目の前の仕事に忙殺されて流転する現地事情に理解が及ばぬことがある。

 今後、日本の協力者の厚意に報いるためにも、事業展開を正確に伝える工夫が欠かせない。

5.マドラサ寮建設

   2007年12月鍬入れ式の後に整地作業を始め、建設工事が2008年3月から行われた。2010年2月7日、モスク(700名収容)、マドラサ(モスク付属学校、生徒数600名)を完成していたが、遠方から来る子弟、孤児や貧困家庭の子供にも教育機会を与える。

 そのためにマドラサ寮(寄宿舎 180名)の建設が痛感されていた。寮建設は2010年3月に始められ、翌2011年4月30日に竣工、5月1日に譲渡式を行った。これは旧ワーカー・故伊藤和也くんのご両親(伊藤和也アフガン菜の花基金)によって建設資金が寄贈された。大洪水によって工期が延びたが、何とか譲渡までこぎつけた。マドラサは行政上、宗教省から教育省に管理が移され、登録で多少の混乱があったが、ジア医師が奔走して合法手続きを完了、これを機に正式登録にこぎつけた。教師の人数を安定して確保できるようになり、マドラサ側も懸案を解決できた。

 設計と施工はPMSが全て行った。今後同モスクとマドラサが要となって地域安定に寄与することは計り知れず、物心両面で支えて下さった方々に、現地農民に代わり、心から謝意を表する。

6.自立定着村の建設

 現在の政情と社会不安の中で、入居は当分、進めない。情勢が落ち着くまで数年間、開拓作業を続けながら、自然に住民たちとのよい関係が熟するのを待つべきだとの判断である。 だが村共同体は建物ではなく、共に生きてゆくための、人間同士のきずなである。現在職員たちがガンベリ沙漠で共に汗を流すことが、地域への愛着を共有する不可欠の要素だとご理解いただきたい。焦ることはないとの判断である。

2011年度の計画

 年度報告に述べた通り。農地開拓、用水路保全、排水路整備、植樹(とくに防風防砂林)等、基本的にこれまでの継続である。農業計画はまだ準備段階だと言えよう。

 医療面ではハンセン病診療の場の確保が遅れているが、政情の変化を考慮し、急がない。 ダラエヌール診療所は、20年を経て建物が老朽化しており、諸般の事情で建て替えが必要になってきている。2011年度に時期を決め、2011年度末から2012年度初めに改築を予定している。

 JICA(独立行政法人国際協力機構)共同事業については、ベスード郡のカブール河取水口建設が最大の仕事となる。ベスード郡については、過去数年間、主要取水口を全て手がけてきたが、何れも仮工事で終わってきた。  ベスード灌漑がPMSの手で成れば、北部ジャララバード全域をカバーするのが確実になり、良い「地域安定復興モデル」が完成すると期待される。

Q3池。全長25.5kmのうちこのような貯水池が12ヶ所造成された。池の向こうはガンベリ砂漠。
 

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