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第二次灌水目前、現場には活気が漲っています
PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村哲
ペシャワール会報87号より
(2006年04月01日)
用水路はブディアライ村に到達


第一次の灌漑地では田畑の造成が進み、
続々と民家が建ち並び始めた
 今、用水路建設現場のアフガン人職員たちの間で、静かな気迫がみなぎっている。着工からまる三年、技師たちの殆どが辞職する中、残って黙々と働いて辛苦を共にした職員たちが、やっと今年度の目標地点に到着しようとしているからだ。
 第一期工事13kmのうち10km地点で、用水路は目標のブディアライ村に入る。そうすると、旱魃で砂漠化した台地の大半を潤すことになる。今年度初め、2005年5月に480町歩の第一次潅漑を達成し、まもなく第二次、数百町歩が更に加わることになる。それが一週間後に迫っているのである。
 しかも、これまでと異なるのは、アフガン人職員自ら休日を返上して、一種の熱気が彼らを支配していることである。彼らが自ら進んで突貫工事に邁進する姿は今まで稀であった。しかし今、作業員も職員もはつらつと仕事を進めている。

これには日本で余りに知られていない背景がある。現地で進行する大旱魃は半端なものではない。大部分が農民である難民は増えに増え続け、現在パキスタンには300万人が居ると発表されている。この数は02年の「アフガニスタン復興支援ブーム」の時の200万人をはるかに超えている。政治現象や演出された「復興」をよそに、難民は増えているのだ。
アフガン空爆以後、人々は苦々しい思いで、一連の出来事を眺めてきた。とくに復興支援で落ちる外貨に浴さない貧しい農民たちはそうである。昨年WFP(世界食糧計画)は、かつて100%に近かった食糧自給率が60%を下回ると警告した。だが、今年の冬の降雨量は異常に少なく、旱魃はさらにひどくなると予想されている。食糧すらまともに生産できないのに、復興支援のカネだけがだぶつく。当然、諸物価が高騰し、治安悪化がこれに拍車をかける。加えてイスラム諸国の暗いニュースは、敬虔なイスラム教徒である現地の人々を気落ちさせる。


十数万人分の食糧生産を射程に

 このような中で、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」と訴え続けてきた私たちPMS(ペシャワール会医療サービス)にとっても、用水路建設は要の事業であった。数え切れぬ苦労の末、広大な面積が潅漑に浴し、人々は沙漠が緑の耕地に変貌する姿を実際に目撃した。多くの難民たちが帰農したばかりではない。3年間関わり続けた職員たちもまた、この仕事に精神的なよりどころを見出したと言っても過言ではない。

 これに嬉しいおまけがあった。建設中の用水路の下手に、「シェイワ・カナール」という古い用水路がある。昔から2000町歩の広大な耕地を潤してきたこの水路は、北部ニングラハル州最大のものだった。ところが、昨年夏の大洪水で取水口が破壊され、冬場の取水が困難になった。我々PMSが助力しても、やっと例年の水量の半分を確保できたのみで、小麦の生産に大打撃を与える寸前だった。そこに、私たちPMSのマルワリード用水路の余水が流れ込み、例年並の小麦収穫を確保した。
現在、同水路の約50%以上の水量が私たちの水路のものである。しかし吾が用水路の能力は、これだけを潤して、予定送水量の5分の1にも満たないので、図らずも「数千町歩の潅漑、十数万人分の食糧生産」が、決して夢でないことが実証された。


灌水目前、地元に活気

 3月15日、新たに通水した場所から潅漑ができる村の住民に「1週間で水を送る」と通告、残り1キロメートル地点に全ての作業員と重機が殺到した。作業員といっても殆どが周辺農民である。枯死寸前の小麦畑への潅水がどれほど重要かをみな知っている。今から1ヶ月の潅水が収穫の可否を決定する。彼らが再難民化するかどうかの瀬戸際なのである。みな固唾をのんで見守り、たいていの人々は快く協力を申し出る。オンボロの重機と、埃まみれの作業員、一見粗野でみすぼらしくとも、吾が用水路建設斑の一団は、すばらしく活気にあふれて頼もしい。

 これまで潅水した約500町歩は、既に一面の緑の畑で埋め尽くされ、水路沿いに植えた数万本の柳の新緑が陽に映えて美しい。日本から助っ人にかけつけた若者たちも、真っ黒に日焼けして別人のようにたくましく、現地に溶け込んでいる。

 たまに日本のニュースを聞くと、現地と余りに対照的で、別世界のようだ。それが何なのか、深く考えたことはなかったが、作業現場にいると分かるような気がしている。野草と造花の相違のようだ。ここにはパソコンはおろか、電気もテレビもないが、逆に情報の洪水に惑わされることもない。
人と人、人と自然の関係も、直接かつ単純である。こちらが胸を開けば相手も開く。争いも多いが、暖かいふれあいがある。水の恵みをかみしめ、手を汚して土にふれる。一方、何だか日本人が僅かな出来事で一喜一憂、だんだん気短かで観念的となり、大らかさが減ってきたような気がしてならない。居るには居るが、住みにくくなっているのは事実である。自分を見つめたり、自己主張することで人は救われない。むしろ思いやりの中に自分を失い、我執を去ることで得るものが数多あり、道が開けるような気がする。

 とまれ、ここには、天の恵みの実感、誰もが共有できる希望、そして飾りのないむき出しの生死がある。  この仕事を支える日本の方々に感謝し、年度末の報告に変えさせていただきます。

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