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自立定着村の創設に向けて
第三期工事は「砂漠緑化」と「農地開拓」

PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村哲
ペシャワール会報96号より
(2008年06月25日)
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2007年度の概況
 07年度は、88年のソ連軍撤退、01年のアフガン空爆に次いで、過去最も変動の激しい時期であった。欧米軍が約7万名に増派されて戦火は泥沼状態となった。アフガニスタンのほぼ全土で政府の威光は地に落ち、無政府状態が急速に広がった(08年初頭に発表された米情報部の報告でさえ「政府支配地区30パーセント」としている)。農村部で外国軍とその協力者が安全でいられる地域は、もはや消滅しつつある。アフガン東部では、米軍の協力者として振舞ってきたパシャイ民族系の軍閥たちも、タリバーン勢と妥協の道を探っているといわれる。多くの地域で、行政の末端にタリバーン勢力の参加なしに秩序が保たれなくなっている。派手なふれこみで行われた「対テロ戦争」は莫大な浪費の挙句、その破綻は誰の目にも明らかになったと言えよう。餓えた膨大な人々の群れは、もはや沈黙しなくなってきている。破局は目前に迫っていると言ってよい。


パキスタンに波及する混乱
 混乱はパキスタン政府をも揺るがせた。米国の忠僕として「テロリスト掃討」を進めたムシャラフ政権は、全国民の怨嗟の的となり、ブットー女史の暗殺、各地の暴動と反乱の後、政権から退いた。アフガニスタンと隣接する北西辺境州とペシャワールでは、事態はより深刻であった。07年夏、ワジリスタンに次いで、スワトやコハート地方で大規模な反乱が起きた。08年1月、ペシャワール近郊で、政府も手をつけなかった一大麻薬組織がタリバーン系の組織によって壊滅させられ、多くの人々に歓迎された。無政府状態は政府や米軍ではなく、地域住民の支持を得るイスラム主義勢力の手によって収拾される勢いを見せている。ペシャワール市内は平穏を保っているが、郊外は既にタリバーン勢力とその同調者によって実効支配されていることは知られてよい。

 米軍はアルカイダ勢力によるものと断じ、直接兵力を進めることをほのめかしているが、その信憑性は薄いと思える。アフガニスタン、パキスタン共にアラブ系団体に対する不信感が強く、民衆の間では、「アルカイダと米国の連携プレー」という噂まで横行している。過去、欧米におけるテロ実行犯は、ほとんどが先進国社会で育ったアラブ系のエリート層であり、欧米社会の病理こそがテロの温床だと識者たちは述べ、国際主義のアルカイダと徹底した土着主義のタリバーン勢力とでは、かなり性質が異なることを指摘している。2,000万人のパシュトゥン民族を抹殺せぬ限り、タリバーン運動は消滅しない。いずれにしても、アフガン人やパキスタン人にとっては、迷惑な話だといわざるを得ない。この大混乱が「対テロ戦争」の産物だからだ。


アフガン難民強制送還と東部の混乱
 パキスタン政府の「アフガン難民強制帰還」が本格化したのも、外圧によると言われる。難民キャンプが「テロリストの温床」とみなされて次々と閉鎖され、07年4月にペシャワールのカッチャガレイ・キャンプが完全に撤去され、数万家族が路頭に迷うことになった。続いて、シャムシャトゥなど、貧困層が集まるキャンプが閉鎖されつつある。この影響をまともに受けたのが主に東部アフガン地域で、着のみ着のまま沙漠地帯に放り出された人々の集団が目立っている。カーブルでの復興劇をよそに、東部・南部のパシュトゥン人の地域は、無政府状態にさらに拍車をかけ、パキスタンに隣接するパクティア、パクティカ、ザーブル、ニングラハル、クナールらの諸州では、飢えた数百万の民衆の怒りが暴発寸前だと誰もが見ている。冬季、カーブルを中心に発生した数万人の凍死者は、主にこれらの人々であった。


旱魃の進行と「国際社会」の無知
 アフガニスタンの民衆にとって、政情以上に脅威なのは、大旱魃による食糧不足である。既に06年の段階で「食料自給率60パーセント以下(WFP=世界食糧計画発表)とされたが、農地の沙漠化は目を覆うものがあり、07年秋、東部アフガンではコメ・トウモロコシの収穫はさらに壊滅的な打撃を受けた。これに世界的な食糧危機が重なり、イランやパキスタンからの小麦輸入が一時停止した。主食である小麦価格は二倍以上の高値を維持しており、カルザイ大統領自ら「国民の半分が飢えている」と訴えたが、欧米側は徒に軍事力強化を図るに終始し、真剣な取り組みがなされたとは言えない。この食糧不足が容易に暴動に発展し、収拾のつかぬ事態になることは十分予測される。首都を大混乱におとしいれるのは困難ではない。しかし、農村を基盤とするタリバーン側も、現在のところ混乱を望まず、「外国軍とその同調者だけを標的とする」と宣言、自重していると思われる。一方、欧米軍のPRT(地域復興支援)の実態は、軍事活動を円滑にするための宣撫工作に近いもので、民衆は反感を抱いている。国連組織さえその「手先」としてしばしば住民から襲撃され、面の世界で展開する実態は、日本で理解されているものとはかけ離れている。

 特に08年になって、ライス国務長官が「ISAF(国際治安維持軍)は戦闘部隊であるべきだ」と明言、主力のNATO軍に積極的に参加してきた国々の中にも、軍事力による収拾に懐疑的な声が広がり始めている。また、ことさらイスラム教を冒涜するような欧米側の動きには、宗教的偏見を感ぜざるを得ない。モスクやマドラサ(寺子屋)を平気で空爆するのが日常茶飯事となり、米軍がコーランを標的に射撃訓練したり、反対を押し切ってデンマークがムハンマドを揶揄する出版物を刊行したりで、激しい反感を買っている(4月、カーブル市内の官邸の前でカルザイ大統領暗殺未遂事件、5月、イスラマバードのデンマーク大使館が爆破され、外国兵への襲撃と死亡は、過去六年間で最高に達することは確実視されている)。

 民衆の間で餓死と凍死が相次ぐ中、一部には華美な風俗が人々の慣習を無視して横行、これまでになく欧米人への敵意が高まっている。首都カーブルを一歩離れると、パシュトゥン人を中心に、全土でイスラム主義勢力への支持が圧倒的であることは知られてよい


対日感情の動き
 日本国内で議論が沸騰した「インド洋での後方支援=給油活動」は、幸いほとんど現地で知られておらず、「最大の民生支援国」であることが政府・反政府を問わず、好感を持って迎えられていた。在日アフガン大使も、日本が(アフガンの国土に)兵力を送らぬことを望むと述べている。このことが私たちにとって大きな安全になっていたのは疑いがない。しかし、六月になって「日本軍(Japanese Troop)派遣検討」の報が伝えられるや、身辺に危機を感ずるようになった。余りに現状を知らぬ軽率な政治的判断だったと言わざるを得ない。日本が兵力を派遣すれば、わがPMS(ペシャワール会医療サービス)は邦人ワーカーの生命を守るために、活動を一時停止する。これまで、少なくともアフガン東部で親日感情をつないできた糸が切れると、自衛隊はもちろん、邦人が攻撃にさらされよう。私たちはアフガン人が「故郷を荒らす日本兵」を攻撃するのを止めることができない。悲しむべきことだが、これが冷厳な現実である。この末期の段階で軍事行動に協力する愚かさの帰結を、身にしみて知ることになろう。

PMS(ペシャワール会医療サービス)現地活動への影響

 わが現地活動も、このような政情と食糧危機に大きく振り回された。これほど難問が重なった年も珍しい。列挙すると、

1.食糧価格の急激な高騰で、この1年で5回の昇給をくりかえして対処したが、職員たちの中には、1ヶ月の給与で半月しか家族を養えぬ者も少なからず、その生活保障が問題となってきた。

2.要人・外国人拉致が多発し、08年3月以来、カイバル峠のトルハム国境通過がパキスタン・アフガン両政府によって禁止され、ペシャワールPMS病院とジャララバード支部との連絡が途絶えがちとなり、管理体制が次第に困難になってきた

3.先進国のシステムを性急に導入しようと、アフガン社会の伝統を無視した「診療所改善命令」が出され、一時はアフガンのダラエヌール診療所が危機に瀕した。パキスタンの北端ラシュト診療所も活動を停止した。

4.ペシャワールを本拠とするPMS病院は、「難民救済団体」として合法性を得ていたため、パキスタン政府の定めた期間(2009年12月までに難民を帰す)内に、ジャララバード側へ移転を迫られている。

5.日本人ワーカーのビザ発給をパキスタン政府が制限するようになり、著しく業務に支障を来たし、ワーカーの受け入れが困難になっている。

6.アフガン国内の治安悪化に対する「危機対策」を自力で講ぜねばならなくなった(これまで農村部住民の信頼関係に基づいて、その保護に頼ってきたが、日本政府の動き次第では、その保証もなくなる)

2007年度の現地活動の概要
 しかし、この中にあっても、事業そのものは粘り強く継続された。医療事業はPMS病院、ダラエヌール診療所共に多大の労力を払って患者の診療が継続された。一時早期移転を迫られたペシャワール病院本部は、活動許可を与えられ、1年半後の移転を目指して、診療の向上に努力が傾けられている。
 用水路事業は、07年4月に第1期13キロメートルを完成、連続して第2期8,5キロメートルの突貫工事態勢に入った。08年春に大混乱が起こると予測し、ペシャワール会の基金すべてを費やして、早期完成が指示された。工事は驚異的な速さで進展、08年現在、うち5,5(総延長一18,5)キロメートルを完成、工事先端は最終地点21,5キロメートルに近づいている。

 農業関係では、5年間の地道な成果が上がりつつあり、サツマイモの普及、悲願の茶の生産の見通しが立ってきている。また、地域共同体復興の要ともいうべき「マドラサ(伝統的な寺子屋)」の建設に着工した。

 東部アフガンから外国人の姿が消えたが、私たちは日本人ワーカーの安全に万全を期し、地方政府内の好意と、住民たちの保護で仕事の継続が可能となっている。「無政府状態」とはいえ、地方農村共同体の秩序はまだ保たれており、政治的中立を掲げる限り、党派を超えて保護されている状態といえる。


2008年度計画
事業は基本的にこれまでの連続であるが、新しいものとして「自立定着村」がある。

 用水路は第二期工事21,5キロメートル地点までを8月中に完成予定、その後は難工事が無くなり、人力とトラクター程度で工事可能な第三期工事に入る。第三期工事は事実上、「沙漠緑化」と「農地開拓」である。このため、幅100メートル以上、長さ2,5キロメートルの砂防林造成を同時に進めている。食糧危機が当面去らぬことを想定、PMS職員や用水路建設に長く従事した熟練作業員(=沙漠化で生計手段を失った近隣農民)を定住させ、「水路関係の職能集団の村」として自給自足、今後の水路保全に当たらせる計画を実現する。農業班も、これまでの経験をここで大々的に生かすことができる

 また、アフガニスタンが現状のまま推移すれば、現金給与はいずれ意味を持たなくなり、食糧自給で生活を保障する以外に方法がなくなる。外国人が去った後も、用水路の保全は何世代もかけて地元民自らの手で行われるものであるから、これが水・農業計画の最後で不可欠の仕上げとなる。

 全体に08年度は、日本人ワーカーの不在で、事業の一時的縮小または停止はやむを得ない。事は長期的視野で実施されるべきで、一時の騒乱状態が去れば、再開される。とはいえ、日本が軍事的関与(ISAF=国際治安支援部隊に参加)せず、早く外国軍が去って平和が戻ることを祈るばかりである。


2007年度をふりかえって
 早いもので、08年度を以って私たちの現地活動は、4分の1世紀を経ることになる。25年間が夢のようである。この間、さまざまな出来事に遭遇した挙句、遠い日本とアフガニスタンとが、現在のような形でつながるとは夢にも思っていなかった。古い社会体制の打破を叫んだ都市青年層がソ連軍の干渉を招き、その反動を育成した米国自身が今、同様な「国際正義」を掲げて泥沼の戦争に手を焼いている。かつて12,000名の兵力は70,000名に迫り、「対テロ戦争」は末期的な段階であると言えよう。

 激変を被ったのは日本も同じである

 25年前、平和教育が叫ばれ、太平洋戦争の戦火をくぐった世代がまだ社会の中堅にいた。日本の文化や伝統、日本人としての誇り、平和国家として再生する意気込み。もうそれは幾分錆ついてはいたが、一つの時代の精神的気流をなしていた。私たちはそれに従って歩めば、それで大過はないと信じていた。だが、現在を見渡すと今昔の感がある。進歩だの改革だのの言葉が横行するうちに、とんでもなく不自由で窮屈な世界になったとさえ思われる。

 図らずもアフガニスタンでの体験を通して、これだけ通信・交通手段が発展しながら、情報コントロールが可能なことを思い知らされた。その時代の錯覚の中で生きざるを得ないのは、いつの世でも同じなのだ。つかの間の平和は、戦争と戦争の間の小春日和であったにすぎない。人々は昔と変わらず、騙されやすい。「大衆は愚かである。同じことを述べて信じ込ませることだ」と述べたのは確かヒトラーであったが、哀しいかな、事実である。愚かな戦を積極的にでも消極的にでも受け入れる世情に対し、いささかでも逆らうことに世間は冷淡である。平和の声は細りがちである。

 しかし、これほど大規模な形で虚偽が根を張る時代もなかった。その結果か、一つの閉塞感が世界を支配している。世界を立て続けに襲う天変地異、世界規模の金融破綻、食糧不足が人為の錯覚を揺さぶり、人々に不安の運動を起こす。まぎれもなく、私たちは時代の大きな転換点を生きている。だがアフガニスタンで得た体験は、逆に私たちを楽天的にする。人間にとって絶対に必要なものは多くない。様々な評論と情報を組み合わせて、戦争の正当化が横行するが、一つの事実だけは明白である。「国際協力」と称する外国軍が何を守るのか不明だが、我々には守るべき人間としての営みがあることである。



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