■ ジア医師のリーダーシップに脱帽 ■
〔現地連絡員 村井光義〕

日本人スタッフ不在の中奮闘するジャララバード事務所のスタッフたち

 現地と日本との連絡はメールや電話で行う。その窓口となった職員には、日本との関係が近いため周りの人が発言しづらくなる。そして影響力が増してくる。それが責任者なら良いが、以前はそうではなく、上下関係がはっきりしているアフガニスタンでは大きな問題となった。
 その失敗から、報告書ごとの担当者が直接インターネットを通して日本へ送信し、すべての報告書や此方からの連絡は事務長であるジア医師にも入れるようにしていた。
 日本に居た3ヶ月間ほぼ毎日報告書は届き、此方も返信に短い挨拶を加え、現地とのつながりを以前より大事にしていた。送信を依頼したものは会計データ、用水路作業・契約重機レポート、物品輸送リスト、燃料使用表などで、手書きの書類はスキャンをして送信してもらう。送信するには幾らかコンピューターで作業するが、職員はその習得に興味をもって取り組み、あっという間に自分のものにした。現地でそれほど広まっていないコンピューターを扱うことは彼らにとってもプラスになる。インターネット事情は5年前と比べると大分良くなったが、今も何らかの理由で数日使えないことがある。携わる会社も増え、価格も少しずつ値下がりしているが、まだ一般家庭で使えるほどにはなっていない。
 現場作業を支える事務所・会計が安定する事は私たちにとって重要である。前回現地を離れる際、1ヶ月でも状態が保たれるといいなと正直思っていた。しかし現地へ戻ってみると、職員の規律は守られ、書類は整理され、各職員が責任を持ち率先して働いていた。職員の雰囲気がすごく良かった。彼ら自身で色々なアイデアを出し、事務所を良くしようと一生懸命努めていた。

 ジャララバード事務所長はパキスタン・ペシャワールのPMS病院の副院長として働いていたジア医師だ。若輩の私が年長であるジア医師を評するなど大変失礼なのだが、驚くほど仕事が早く(話し方も早口で時々聞き取れないほど)、強いリーダーシップで職員をまとめ、対外的にも地域社会や政府との交渉を務める。中村先生と15年共に働いている。ペシャワールにいたころと随分雰囲気が違う。アフガン難民ということでお医者さんとは言え立場が弱く、思ったようにできなかったのだろう。今は一日中現場や市内を飛び回っている。

 私は本当に彼らを信用していたのだろうか。頭ではそのつもりだったが、出しゃばり過ぎていたのではないか。習慣、文化、日本人とは違うものの考え方などがある中、若干20代の外国人である私は大きな勘違いをしていたと今更ながら思う。仕事の進め方では、この地にとって沿わないことをやっていただろうし、他者との交渉では、話の展開の仕方や押し処や引き処など頓珍漢だっただろう。彼らが日本人(客人)に遠慮してあまり強く言えないことに気づかず、謙虚さが足りなかった。案件にもよるが、彼らに相談していなければいけなかった。もっと適当なやり方が見つかっていただろう。これまで一緒に働いていたスタッフに申し訳なく思う。中村先生が著書『ダラエ・ヌールへの道』で書かれた言葉が身に沁みる。

「現地は日本人の活躍場所に非ず、共に歩む協力現場である」

 大洪水があり、コレラも発生し大変な状況だが、現地職員、現場作業員、日本人スタッフ、ペシャワール会事務局、そしてペシャワール会会員の皆さまと協力し、彼らが心安らかに家族と共に過ごすことが出来るようにしっかり働いていきたい。

水路から帰ってきたばかりのジア医師!


(ペシャワール会報105号:2010年09月29日発行より)

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