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カシコート工事、急な増水で更に白熱
マルワリード用水路、春の浚渫
ハンセン病患者の出現で戸惑い

お疲れさまです。4月になりました。
カシコートでは急激な増水に追い立てられて、かなり強引に工事を進めています。

ジャララバード事務所がマルワリード用水路全線25㎞、春の浚渫を総動員で開始しました。

ペシャワールより、ハンセン病患者が訪れ、善後策を検討し始めました。

シギ地方送水のサイフォン工事が4月2日に着工、ベスードの竣工式が4月7日に決定しました。

どれも大切なので、少し説明します。


1.用水路の浚渫

用水路は、建設よりも維持補修に、より大きな困難が伴います。カギは流域農民の協力です。着工から8年、人口が爆発的に増え、長く故郷を離れて成り行きを知らない者も増えてきました。日本も同じですが、一部住民は、「水と空気はあって当たり前」と感じ始めています。そうすると、水の大切さを忘れ、協力を忘れ、公共心を失ってきます。定期浚渫は、皆で水路を守ることが重要だと思い起こさせる行事でもあります。

話は簡単ですが、誰が、何時、どうやって実行するかが問題です。PMSジャララバード事務所自身が大きな関心を寄せ始め、流域の各村に通達、まる3日間完全に水路を干し、500名の作業員が区間を分けてシャベルで浚渫しました。文字通り総動員で、作業地や役職を問わず、全員が駆り出されました。今年の特徴は、流域農民が自発的にこの行事に合わせ、分水路の浚渫(計10㎞以上)を始めたことでした。

アフガン人職員は、「政府が良くなったら譲渡して終わり」と考えていた節がありますが、本格的に動く兆しはありません。ジア先生以下、危機感を募らせ、「流域住民の結束」を明確な目的とするに至りました。実は、これが待望していた事態だったのです。やっと自分たちで動き始めた、というのが率直な印象です。おそらく、この流れは変わらないでしょう。

2.ハンセン病患者の出現

クナール州とダラエヌール診療所は目と鼻の先です。戦乱でペシャワールのPMS基地病院を去る時、最も気になっていたのがハンセン病患者のことでした。特にクナール州は患者が多く、同州ダラエピーチ渓谷やヌーリスタン・ワマ渓谷に診療所を開いたのも、そのためでした。何れも戦乱の巷となり、パキスタン側でも、アフガン側でも、PMSは拠点を失いました。戦乱だけでなく、他にも複雑な訳があります。灌漑事業に追われて手が出せず、ダラエヌール診療所を維持するのがやっとでした。それも、行政との絡みで、「質はともかく、今は無くさぬように守る」という、ぎりぎりの綱渡りです。

やってきたのは10歳の少年で、一目でわかるらい腫型です。一家に5名の同症状の者が居るそうです。ペシャワールに行ったところが、公営病院でも治療はされておらず、PMSを知っていたパキスタン人診療員が、ダラエヌールで治療可能だと勧めたそうです。

古参の医療職員が、昔を思い出して沸きあがりました。しかし、この状態で何ができるのでしょう。ハンセン病の合併症治療は、外科を含めた本格的な構えを必要とします。また、既にパキスタン側では「根絶宣言」がなされ、WHOを筆頭に、国際機関は「結核治療に統合」を打ち出しています。しかし、これが地域の実態に沿う事情かどうかは、別の話です。少なくとも東部アフガンでは、ハンセン病患者は、政治の壁で治療の場を失っています。

驚いたのは、古参職員がハンセン病に対する関心を失っておらず、必要な菌検査をきちんと行って問い合わせ、ジア先生が保健省にかけあって治療薬を得てきたことです。ジャララバードの保健省では、インドの医療協力で薬を送られてきたものの、使い道がなく、倉庫に眠っていたそうです。アフガニスタンでハンセン病が減る兆しがなかったのは述べてきた通りです。おそらく、東部だけで、放置された患者、数千名が居ると確信しています。結局、「今下手に騒げば、拙速で診療所が分解する。政情をよく読みながら、『皮膚結核様の患者』として、ひとりひとりを丁寧に診てゆく。患者が数百名になった段階で、医療行政側の出方を見よう」ということになりました。

これもまた最後の仕上げです。「最後」という言葉がやたらに多くなって、怪訝に思う向きあるかも知れませんが、らい菌もまた自然の一部、根絶などという大それたことは考えていません。無用な悲劇を減らすのみ。悠々と参ります。

3.ベスード第一堰、ベスード護岸の竣工式

治安上の問題から、急きょ4月7日に決まりました。警備は警察とPMSが話し合って周到に行われます。竣工と言っても、実際は区切りであって、小さな補修はまだまだかかります。当面の仕事は植樹と土石の輸送で、半年をかけて行います。補修工事(特に堰)の主役が巨礫です。常に悩まされるのが膨大な巨礫の調達で、たいていの堰はひと夏を越してから改修され、強くなります。そのため、あらかじめ蓄えて待機するのです。

増水と格闘しているうちに、いつの間にか緑が深くなり、既に初夏の強烈な陽ざしです。日中は暑く、さすがに現場は疲労の色が見え始め、病気で倒れる者が続出。諸般の事情で妥協し、2週間で河の工事に区切りをつけ、6月の増水のピークの状態を観察、設計を修正し、秋に備える方針としました。それでも、河道の移動、旧河道の埋立て、既存堤防の撤去・移動、川幅の拡大ら、絶対に必要な工事は、終局にさしかかったと考えています。

平成24年4月6日 記

浚渫と言っても、ここだけはシャベルだけで出来ない。度重なる土石流でD沈砂池は埋めつぶされた。ジャリババ渓谷からのものが殆どで、昨年10月の鉄砲水が止めだった。長径約250m、短径100mの楕円状の池は膨大な土砂で、完全な浚渫は困難。ジャリババの洪水流入を防げるようになった現在、池の中に幅広い水路を置いて沈砂池の代用とし、残りを広々とした芝生地に変える。同地は旅人の礼拝場所になって公園化している。
2012年4月5日

マルワリード用水路(500m地点)とジャリババ渓谷をカシコート側から望む。柳並木が用水路。アフガニスタン、晩春の色彩で、天・地・人の序列と構図を厳然と示す。高山の白雪が急速に薄くなり、平年より早めで大きな洪水を予測している。
2012年4月4日

作業地付近のクナール河、例年より2週間早く、急激に増水。吾々が苦労して埋めつぶした旧河道の場所は、文字通り高水敷。マルワリード堰上流の分流から注ぐ水が、第一水制を洗っている。全体が既に水に浸かるようになった。追われるように作業が進む。集中豪雨があれば、一発で工事ができなくなる。
2012年4月5日

旧堤防の撤去・移動作業。残存した堤防約200mを取り除き、約30m移動、川幅を広げる。数か所に水制を造成し、移動した護岸壁を守る。
2012年4月5日

新堤防は二段、上段は大洪水時より約1.0m高く天端を作っている。段状にするのは交通路確保を兼ねるからだ。
2012年4月5日

主幹水路の復活。新設堤防の上段をwlvじられない。秋の本工事に向けて、猛烈な勢いで工事が進められている。
2012年4月5日

旧堤防撤去後に、巨石を使って水制を作り、堤防下段を保護する。乗用車の大きさほどの巨石で骨格を成している。PMS院長自らの力作だが、記録係も兼ねているので、作業風景が写せない。これを第5水制とし、75~80m間隔で設置、連続させる。
2012年4月5日

上がる水位に焦りは募る。急速に河の水位が上がれば、カシコート橋はどうなるか分からない。責任をとる者が居ないのだ。現在の工事で流水圧が減れば、或いは・・・と、望みをつなぐ。乗用車と自転車しか通せないが、それも危うくなる。
2012年4月5日

最後になりましたが、自然は恐ろしいばかりではありません。「今週の一枚」は、何と言ってもこれ。村井がジャララバード事務所の菜園で成功したもの。草丈25㎝、種もつけ始めている。この試みで、土質や播き時期など、少し要領を得た。受粉を促すのがミツバチだ。おそらく、セイヨウミツバチ近似種で、レンゲを好む。古き日本への郷愁を断ちがたし。人の世の塵あくた、何するものぞ。バスに乗り遅れるのも良し。
(村井撮影)2012年4月2日

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