秋葉山常夜灯と秋葉街道

(内田全体にかかわるもの)


江戸時代、秋葉山まいりが人々でにぎわう。



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 相良町を出発点とした「塩の道」は、遠く長野県まで通じています。その一部を秋葉街道と言います。相良町から、小笠町、菊川町内田地区、掛川市、森町を通って春野町の秋葉神社にいたる道がそうです。秋葉街道は信仰の道として人々がたくさん行き来しました。
 秋葉山は,平安時代に信仰の山として開かれ、その後、秋葉三尺坊大権現が出現しました。火のわざわいから身を守ってくれると、人々の間に広まっていきました。江戸時代の中ごろ、江戸(今の東京)に何度も大きな火事が起きたので、江戸の町人たちの間に秋葉山まいりが大流行しました。
 内田地区には4つの秋葉山常夜灯があります。古川神社の鳥居前にあるものは、明治30年(1897年)12月に建てたことが刻まれています。そのころ、内田地区でも「秋葉講」がさかんだったことでしょう。秋葉講というのは、
@日待ち信仰(宴会をして、身を清めてから秋葉山へおまいりする。)
A代参講(代表がおまいりし帰ってきたら、みんなが集まって、床の間に掛け軸をかけておまいりする。その後、みんなで食事をとる。)
の二つのやり方がありました。
 内田地区の秋葉山常夜灯を写真で紹介しましょう。「塩の道」の地図にも書いてありますから、それを参考にたずねてみたらいかがですか。                       
                                                      
←古川神社
                                      

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左から、段平尾、御門、御門広畑 の常夜灯