人助け阿弥陀様

(稲荷部)


高天神の戦いで傷ついた雑兵を救った阿弥陀様



 inaka16.jpg  城山(極楽寺西の山で今は茶畑)と堂の谷(石川清さん宅をあがった山で今は茶畑)あたり全体が、高天神城をうばいあう戦いの場になりました。昔、阿弥陀堂は、坂を少し下がったあたりにありました。今は、その跡らしき面影も残っていません。
 戦いは日ごとに激しくなって、目をおおうほど悲惨でした。この戦いの中に一人の僧が入ってきました。その僧は、敵・味方の分けへだてなく、傷ついた雑兵たちに声をかけ、一生けん命助けたのです。この僧は,かわいそうに、あれくれ武士に片腕を切り落とされてしまい、あえなく息たえてしまいました。
 やがて戦いが終わり、生き残った雑兵や村人たちが、傷ついた人々を自分の命にかえて助けてくれた僧を一生けん命さがしました。戦場には姿がなく、みんな悲しみに沈みました。阿弥陀堂も焼け落ちていました。人々は、堂に安置されていた阿弥陀様をさがしまわりました。すると、ドンドン坂の南側山頂に血に染まって片腕を落とした阿弥陀様がすわっていたのです。この姿を見た村人たちは「これはきっと阿弥陀様が僧になって、傷ついた人々を救われたのだ」と言いあって、一層大切にしました。
 その後、ずっと阿弥陀堂は再建されず、極楽寺(稲荷部にあったお寺)本堂の屋根裏に阿弥陀様は納められていました。これをお寺の岡本源透和尚がみつけて、床の間に長く安置して大切にしました。応声教院の方丈さんがこれを聞き「応声教院の守り本尊にしたいからゆずってほしい」と言われました。檀家の人が集まって何回も相談し「小さな極楽寺の床の間に置くよりも応声教院でまつっていただくことが阿弥陀様の功徳になる。」ということで、応声教院に移しました。応声教院では、早速、名古屋の仏師の手により40余日をかけて立派に復元し、開山堂に安置しました。みなさんも片腕の阿弥陀様をお参りしてみませんか。