文 永 寺

(段平尾)


文人にゆかりのある寺



100-066.jpg  内田のほぼ中央部から下内田の平野に、南に向けてとびだしている河岸段丘の段平尾があります。その先のふもとに積宝山文永寺があります。このお寺は、掛川市にある曹洞宗永江院の七世のお坊さんが、天正時代(1573年〜1585年)に杉谷の法念寺といっしょにつくったお寺です。そのことは、「和光山永江院五百年記念誌」に書かれています。
 文永寺の初代の住職の名前は、記録がなくわかりません。お寺を守っていくために現在までに何人もの住職がつとめてこられましたが、それぞれ文永寺の発展に尽くされました。
 先の月船住職からは、檀家が少なく経済的に苦労した時のお話や「山口」という立派なお坊さんがいたということを聞きました。
 いつ頃のことかよくわかりませんが、「大貴」という書家がいたそうです。その頃の見事な書が、今も何軒かの家で大切に保存されています。
 また、この寺を語るときに忘れてならないのは、俳人「周竹」です。周竹は、江戸時代に活躍した大島寥太の弟子で、呼び名を七竈庵、または十住庵といいました。天明3年(1783年)7月18日に亡くなり、ここに葬られています。国学者栗田土満の弟子である栗田真菅とその妻美恵子もここに葬られています。文永寺はなぜか文人と関係の深いお寺です。