藤 本 一 雄

(東平尾)


菊川にはじめて幼稚園を作った人

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 藤本一雄は、今から109年前、明治26年(1893年)東平尾の西林寺に生まれました。藤本家は、代々学問を大切にしていたので、子どものころから本が好きでよく読みました。
 明治44年(1911年)学校の先生になるために、東京の師範学校で勉強し、先生になりました。さらに、自分を作っていく心(生き方のもとになるもの)をどう教えていくかについて悩み、もっと勉強をしたいと東京帝国大学に入学して「人間教育と宗教」について研究を始めました。しかし、そこでも学びきれず、昭和8年(1933年)40才の時、アメリカの大学に留学して研究を続けました。外国に学ぶことは、当時としては一大決心でした。有色人種ということで「ジャップ!」と馬鹿にされたこともありました。でも、生活のために皿洗いもし、どんな苦しいことがあっても勉強をあきらめませんでした。
 昭和14年(1939年)日本にもどってから大学の先生になり、心の教育の大切さを教えながらさらに研究を深め、論文や「吾が子の教育」「人間形成の基礎」等、次々と本を発表しました。昭和37年(1962年)その研究が認められ、文学博士(教育学)の学位をいただきました。次のうたはその時のものです。
 「うれしかり 47年の 苦の道に 花咲かせたる 吾の幸運 」昭37.6.12
 しかし、勉強はそこで終わらず、ますます研究に打ち込みました。81才でなくなる前の日まで、神戸の大学に通い、夜遅くまで勉強していました。
 また、自分の研究を実践するために「心のしつけは小さいときこそ大事。」と考え、昭和28年(1953年)、堀之内と内田と西方に3つの幼稚園をつくりました。「子どもは愛されているという自信をもつとき、強く素直に育つもの。」「何を教えたかより、どんな気持ちで教えたかが大切なんだよ。」と、幼稚園の先生たちに教えました。そのころのうたに次のようなものがあります。
 「女児3人 わがひざあらそい のしあがり なぜ頭に 毛なきかと聞く」
 子どもたちにやさしい、おじいちゃん園長先生でした。

主な著書「現代における宗教と教育」「道徳の根本問題」「国民のこの声」「真の教育に生きる姿」「人間愛の研究」他