井指秀子

(政所)


自分の命を投げ出し、人命救助



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 井指秀子さんは、小学校の頃から明るく、家の手伝いはもちろん近所の手伝いも進んでやり、何事もきちんとやるよい子どもでした。
 成人してからは妹たちの面倒をよくみるよいお姉さんで、近所でも評判の娘で、みんなのあこがれの的でした。
 昭和39年(1964年)看護婦として菊川病院に勤めました。仕事ぶりは優秀で強い責任感と活動意欲に燃え、看護婦として模範の働きぶりでした。仕事をいっしょにしているみんなから親しまれました。「明るく、よく気のつく看護婦さん」と患者からも信頼を受けていました。
 特に新しくできた精神科では、患者さんたちといっしょになって、運動をしたり劇や遊戯をしたりして生活を共にしました。患者さんにとってのよき指導者であり友達でもありました。秀子さんの働きで精神科も順調に伸びたので、病院から大いに将来を期待されていました。
 昭和43年12月13日午前9時50分、精神科の患者の付添いをして、潮海寺の東海道線の踏切にさしかかりました。 しゃ断機は下りていても半分はあいているので、患者はあっという間に線路に入ってしまいました。列車はすぐ前に見えました。責任感の強い秀子さんは無我夢中で線路の中へ飛び込み、患者を助けようとしました。
 患者とともに自分の命を投げ出した一瞬のできごとでした。秀子さんは家族、同僚、友人、町民の願いも届かず、うら若い将来ある身で殉職(仕事をしていて亡くなること)されました。
 秀子さんの看護婦として強い責任感をもった生き方は、今でも多くの人々に感銘を与えています。