じ お ん じ

(西平尾)


「じおんじ」という地名に残るお姫様の話



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 枯木ヶ谷の奥に「じおんじ」という池があります。明治後期には各地に農業用水池がつくられました。この池もそのころつくられたものといわれています。昭和の中ごろ、土手がなおされました。いざという時に備え、静かに私たちを見守っています。枯木ヶ谷という地名は古く、古い書物によると、およそ1300年前、天武天皇の時代にはすでにつけられていたようです。
 いくさに敗れた石田三成の娘「たえ姫」は何人かのおとも(そのまま枯木ヶ谷に住みついた人もいます)を連れ、この地に落ちのびてきて、今の「じおんじ」池の右おくの小高い所に、そまつで小さな家を建て、なくなった一族の者たちの供養(死者の霊に物をそなえてまつること)をしていました。尼さんの茶をたてる金の茶がまの音が、枯木ヶ谷じゅうに鳴りひびいたそうです。しかし、いつのころか、尼さんは旅に出たきり戻ってきませんでした。金の茶がまも矢づつも、池の辺りにあった五輪の墓石もどうなってしまったのでしょうか。一説には、五輪の墓石は、池をつくった時、池の中におさめられたといわれています。今、残っているものは「とうすみ皿」と「古い石うす」だけです。
 お寺の名前が池の名前となって伝えられてきたのか、そのお寺の名前も「慈恩寺」が正しいのか「地音寺」なのか、はっきりしたことはわかっていません。
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石田幸雄さん宅の白瀧様のお堂の下にある「古い石うす」と「とうすみ皿」