菊川改修工事記念碑

(高田)


小大水で家が流され、田畑がつぶされ、多くの方が亡くなりました。



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 菊川のまわりの家々は、大変な水害に長い間苦しんできました。昔の菊川は、曲がりくねった川で、流れが悪く、ていぼうもしっかりしていませんでした。大雨のたびにあちらこちらで、ていぼうが切れ、家が流され、田畑も泥や砂利でうまってしまいました。人が、おぼれて死んだ事もあります。特に、高田はよく水につかり、下高田の老人や女の人、子どもは、太郎坊様にひなんし、文永寺が救護所となりました。段平尾の人、役場や警察の人が来て、おむすびを作り、舟で高田の人を助けに来てくれました。
 菊川のまわりに住む人々は、なんとかして大水を防ぎたいと考えていました。明治時代には、特にひどい水害が何度もおきたのです。そこで、人々が話し合って川をなおす工事を進める組合をつくり、県や国に菊川をなおす工事を進めてもらうように一生けんめいお願いしました。
 明治・大正時代に主に悪い所をなおす工事が進められました。その後、昭和10年(1935年)から20年間工事を続けるようになりました。ところが、その間に戦争があり、国でもお金がいるので、川の工事が中止になりそうになりました。しかし、菊川は、大水になるとまわりの田畑がひ害にあい、食べ物がとれなくなるので、特別に工事を進めることになりました。
 昔から30年間も川をなおす工事が進められた事や、これからも水害のない川にするための工事が続けられるよう願って「菊川改修工事記念碑」が建てられました。この大きな記念碑の石は、小笠町の佐藤さんという石屋さんにあり、それに文字がきざまれたものです。