杉 山 勝 平

(稲荷部)


地域のリーダーとして活躍



inaka18.jpg  杉山勝平さんは、明治26年(1893年)に小笠郡下内田村稲荷部に生まれました。内田小学校の6年生を卒業して、榛原中学(今の榛原高校)に進学しました。卒業後、小笠町にあった双松学舎という学校で短い期間ですが先生としてつとめました。20歳代の後半には、人々の信望をあつめ、下内田村の助役になりました。その後、地域の人々の先頭に立って下内田信用販売購買利用組合(今の農協)をつくり、昭和17年(1942年)まで常勤理事という役で仕事をしました。昭和19年(1944年)中ごろから、再び、常勤理事としてつとめました。組合員の要望と組合活動を活発化させるために、自分の土地を提供して農業倉庫をつくりました。また、組合の事務所を今の稲荷部公会堂のところに移転して、利用作業場もつくりました。地域の農業の発展のために組合リーダーとして組合事業を押し進めたのです。
 昭和19年(1944年)12月15日夕方、組合からの帰り道、今の段平尾公会堂付近で倒れ、50歳で帰らぬ人になりました。誰もが「若すぎる」とその死を悲しみました。
 今は農業もかわり、農協も大合併をして下内田信用販売購買利用組合のことなど、誰もが忘れてしまいました。しかし、杉山さんが先頭に立ってすすめた組合活動の種は、JA遠州夢咲の各事業で、今も生き続けています。それは、稲荷部の組合員がいつもすばらしい利用成績をあげていることが、立派に証明しています。
 今の社会は、あらゆる組織が大きくなって、強くなったように見えますが、人々と一緒になり、まず自分がやってみせて、活動の先頭に立ち、自分の土地を提供した杉山さんのような人はいなくなりました。
 杉山さんを偉い人だとあがめるよりも、時々杉山さんを思い起こし、今よりよくしていこうという気持ちがいつまでも生き続けていくよう、みんなでがんばりたいものです。未来に夢を抱く地域をめざすために。