応声教院山門

(杉森)


応声教院の山門は国の重要文化財



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 応声教院の山門は、徳川2代将軍秀忠が,亡くなったお母さんを供養するため、寛永3年(1626年)に、静岡市宝台院の大門として建てたものです。安土桃山時代(1568〜1600年)のやさしい上品な味わいがあり、東海第一の山門と呼ばれています。
 この建築を担当したのは門奈助左衛門山口清大夫で、大工親方は日光東照宮や東京芝増上寺を建てた当時の名匠、甲良豊後の守です。
 この山門を大正4年(1915年)に応声教院がゆずり受け、大正7年(1918年)に移築しました。その時の大工親方は竹島長次郎、副親方は落合国吉、工事監督は相沢作次郎、後見役は堀内喜四郎氏で、住職は第53代天察上人でした。
 山門の額に「松風霊山」の四大文字が書かれていますが、これは華山院侯爵、親家候が大書した字です。華山院家は、桜ケ池で大蛇となられた皇円阿閣梨上人の親戚にあたり、元貴族院議員をつとめられた方です。
 この山門は昭和29年(1954年)、小笠郡で最初に国の重要文化財に指定され、現在にいたっています。