凧  山

(西平尾)


がけの下から吹き上げる風に乗って、半日もあがり続けた凧



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 西平尾の西南たんに位置する山で、大東町の岩滑との村ざかいにある小高い山の一部を昔から凧山と呼んでいます。今は茶畑の造成により昔の形とはちがっています。さて、なぜ凧山と呼ばれるようになったのでしょうか。
 そのいわれははっきりしませんが、江戸時代の終わりから明治時代の初めごろには、家をつぐ男の子が生まれると、どこの家でもたん生を祝い、競い合って自まんの凧をあげたようです。それから、凧をあげた山ということで凧山と呼ばれてきたようです。
 ところで、みなさんが凧をあげる時、ほとんどの人が平地の風の強い所をえらんであげることでしょう。では、なぜ、山に登ってあげたのでしょう。
 それは、切り立ったがけの下から上に吹き上げる風(上昇気流)にあるのです。岡本勇さんは小学校4年生のころ(昭和8年頃)、お父さんに連れられて、すかし凧(右写真)をあげた覚えがあるそうです。凧のつき上場に登り、下から吹き上げる風とお父さんの合図に合わせて凧を手からはなすのです。すかし凧は下から吹き上げる風に乗って見事にあがり、長いときは、半日もあがっていたそうです。そして、このすかし凧は陽にすけて、つるやかめ、松竹梅のもようが美しくきらきらとかがやいて見えたことを覚えているそうです。

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