山 本 馬 十

(稲荷部)


独学で研究をし続けた農業の先覚者



 山本馬十さんは明治・大正・昭和にわたり活躍した農業の先覚者です。馬十さんは1940年に67才で亡くなりましたが、子どもがありませんでした。そのため、馬十さんの家に親戚の山本さんが来て、現在、東海農園を経営しています。
 馬十さんは、大将のような立派なひげを生やしていましたが、とてもやさしい人で、子どもたちにもにこやかに話す人気者でした。
 そのころの農家は貧しかったので、みんな、ただ一所けん命に働くだけでした。馬十さんはどうすればもっと豊かになるかをいつも考え、工夫をこらした人です。みんなは「また馬十さんが何かするよ。」と期待していました。
 稲荷部は、大雨が降るとすぐに大水が出て、田んぼが海のようになって稲が水にもぐり、お米がまったくとれない年がありました。馬十さんは水害に強い「豊穂」という品種の稲をつくり出しました。村の人たちはたいへん喜んで、馬十さんのつくった「豊穂」を広く栽培しました。
 また、茶の芽が伸びたころ、お茶摘みをする前に霜がおりて、黒くかれてしまうことがあります。馬十さんは一生けん命考えて、霜の被害にあわない新しいお茶の品種をつくりました。霜が完全におりなくなったころに芽が出るものです。誰もやらなかったさし木という方法でつくりました。でもこのお茶は、あまり広まりませんでした。人々が一日も早く新茶を飲みたいので、遅い芽のお茶は誰も栽培しなかったからです。
 さらに、馬十さんは、おいしいイチジクを田んぼに栽培して、ビタミンの多い大きなイチジクをたくさんとったのです。みんなはびっくりしました。また、大きなニワトリを飼う建物を建て、みんなとはちがう、めずらしいアトキンソン種を飼いました。これは、みんなの飼っていたニワトリの方がたくさん卵を産むのでやめました。
 いつも考え、何かを始め、失敗してもくじけず、成功すればみんなに広めた馬十さんは、今の子どもたちにも何かを伝えようとしています。稲荷部でもそういう馬十さんを見直したいと思います。
 馬十さんは、稲荷部で、みんなのために活躍した平凡な偉人です。