松  本  丑  太  郎

(御門)


内田村の最初の村長さん



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 松本丑太郎は、今からおよそ160年前の天保13年(1842年)御門に生まれました。少年のころから、おとろえていた家運を何とか立て直したいと考えていました。14歳のとき、決意して日本中をめぐる旅に出ました。苦しくつらいことの多い旅でしたが、丑太郎にとっては大変プラスになりました
 その後、一生けん命働いて、松本家の家運を元のように立派に立て直しました。
 領主の井上志摩守が、勤王の志(天皇のために一生けん命働こうとする気持ち)をもって京都に行こうとしました。しかし、費用がたりません。そこで、領内の地主を集めて助けをたのみました。その時、まだ若い地主でしたが、丑太郎は金百両を差し出しました。他の地主たちはびっくりしましたが、丑太郎と同じように寄付をしたので、費用が十分集まりました。その当時の松本家は、つくり酒屋で、大きな地主でもあったのでたいへん豊かでした。
 牧之原は、今日本一の大茶園として有名ですが、その始まりは明治時代の初め、荒れ地だった台地を多くの武士や川ごえ人足や農民たちが切りひらいたところです。丑太郎も数十町歩(数十ヘクタール)を切りひらき、新式の製茶機械を入れた工場を建て、製茶を始めました。この地を今でも松本開墾と呼んでいます。丑太郎をたたえる大きな石碑が、応声教院の石段の西に建っています。
 明治22年(1989年)4月、中内田村と月岡村、耳川村が合併して中内田村となり、下内田村と組合村を作って村の仕事を進めることになりました。丑太郎は、その最初の村長に選ばれ、4年間、村づくりのために心をこめて働きました。
 その後も製茶の仕事に励みましたが、明治43年(1910年)69歳で亡くなりました。地区センターに肖像画が飾られています。