山 川 辻 松

(御門)


法然山隧道(トンネル)をつくる



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 法然山隧道(トンネル)を開通させた人が山川辻松です。辻松が内田村に来たころは、たいへん交通の便が悪く、となり村へ行くのにも、細く曲がりくねった山道(法然山)をこえなくてはなりませんでした。
 「このままでは人々も苦労するし、内田の発展も望めないだろう。何とかならないだろうか。」と考え、辻松はここにトンネルを掘ることを決めました。
 その日から好きだったお酒をぴたりとやめ、来る日も来る日もつるはしをかついで山へ向かいました。しかし、力いっぱいつるはしを打ちこんでも、かたい岩には、つるはしのあとがひとすじつくだけでした。来る日も、来る日も辻松はただ一人掘り続けました。10日、20日と掘っても浅い穴ができただけで、はかどっていきません。辻松は投げ出したい気持ちをぐっとおさえて、いっしょうけんめい掘り続けました。
 初めは、近所の人は見ているだけでしたが、辻松がいっしょうけんめい取り組む姿を見て、いつしか、一人二人と手伝いに来てくれるようになりました。この話を聞いた加茂村の人々も「それなら、こちらからも掘っていこう」と協力してくれました。
 明治30年(1897年)、辻松が最後の岩を掘りとると、ぽっかりと大きな穴があき、トンネルが開通しました。立っては歩けないほどの小さなトンネルでしたが、人々にとっては、夢のようなトンネルでした。その後このトンネルは、「法然山隧道」と名付けられ、その幅も大きく広げられました。
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